目からビーム!12 アニソンと軍歌 『HINOMARU』騒動に思うこと
人気バンドRADWIMPSの『HINOMARU』という曲が大炎上中である。「右翼的だ」「軍歌みたい」という予想の範囲の批判から「歌詞が日本語としておかしい」といった小姑的なイチャモンまで、概ね声の大きいのはこの曲にネガティブな反応を示す者たちだ。そもそも日本語のヘンな歌詞なんてそれこそJ-POPやアイドル歌謡には掃いて捨てるほどあろうに、なぜこの曲ばかりがやり玉にあげられるか、よくわからない。ま、文学作品にだってヘンな日本語を見ることはある。三島由紀夫が嫌った太宰の『斜陽』なぞ、おビール、おウィスキー、おコーヒーといった感じになんでも「お」をつければ上品に聞こえると思っている場末のホステスのようで、とても没落華族母娘の会話には聞こえない。
小椋佳作詞作曲の『シクラメンのかほり』に出てくる「清(すが)しい」も井上陽水の『少年時代』の「風あざみ」も辞書にはない言葉だ。
それはさておき、やはり気になるのは、軍歌云々の批判である。「風にたなびくあの旗に/古(いにしえ)よりはためく旗に/意味もなく懐かしくなり」という歌詞が「軍歌」という
ならば、60年代~80年代初頭のアニソン(アニメ・ソング)などどうなるのだろうというのが率直な思いだ。今でこそアニソンといえば、タイアップ曲やイメージソングが主流で、歌詞も英語まじり、作品世界とは直接関係な内容のものも多いが、僕が子供のころのそれは、歌詞も「戦え」「倒せ」「守れ」といった常套句が散らばる単純明快なものだった。これだけでも『HINOMARU』などに比べたらかなり好戦的だろう。では、ヒーローたちが何を「守る」ために「戦う」のか、「正義」「平和」「地球」「世界」である。学校で日教組教師から「平和」のために武力を捨てろと教えられ、放課後の公園では友達と高らかに「平和」のために武力行使せよ、と歌う。思えば、アンビバレントな子供だったぜ。
ずばり言えば、アニソンのルーツは軍歌にありというのが僕の持論なのだ。菊池俊介や宮内國郎、越部信義といったアニソン創世記の作曲家はみな、昭和一桁、少国民世代である。兵隊さんを見送りながら小旗を振って歌った軍歌のメロディの記憶が血肉となっているはずである。菊池など意識的に軍歌調を取り入れているという指摘もある。
水木一郎もささきいさおや堀江美都子も時代が時代だったら、きっと軍歌や戦時歌謡を吹き込んでいたと思う。
初出・八重山日報