昭和天皇と握手したチンパンジー
メスのチンパンジーのスージーは、昭和20~30年代の上野動物園の人気者。彼女の人気の秘密は、その芸の多様さと賢さにあった。自転車乗り、一輪車乗り、竹馬乗り、ローラースケート、綱渡り、樽乗り、縄跳び、ピアノ弾き…。スージーはそれらを、人間に強制されたと思わず自ら楽しんでやっていたという。だからこそ上達も早かった。また、芸ではないが、大好きな飼育係の山崎太三さんがキャラメルを買うのを見て、10円を与えると自分から売店に行ってキャラメルを買うことを憶えたという。山崎氏によれば、スージーは人語で話しかけてもある程度理解できたらしい。
昭和31年4月、天皇(昭和天皇)皇后両陛下が上野動物園をご訪問された。陛下が動物たちのショーを楽しまれ、会場をあとにして歩き出されると、なんと自転車に乗ったスージーが後を追ってお見送りに来たという。予期せぬことだった。
スージーは陛下の前に出ると自転車を降り、右手でハンドルを押さえたまま、左手を陛下の目の前に出した。傍らで見ていた山崎飼育員は一瞬、青ざめた。子供とはいえチンパンジーは猛獣だ。もし、何かあったら…。しかし、制止する間もない瞬間の出来事だったという。陛下も一瞬、戸惑いの表情を見せられたが、一歩歩みを進められ、笑顔で右手を出すとスージーの指先を軽く握った。
われに返ったように、報道陣のカメラがシャッターを切る。その日の各紙夕刊の一面は、「天皇陛下と握手するスージー嬢」の写真が飾ったのである。
スージーにはもうひとつ、こんなエピソードもある。中川志郎氏著『動物たちの昭和史』①より引用します。中川氏は、昭和5年、茨城県出身。上野動物園獣医、同園飼育課長、多摩動物公園飼育議長、同園園長、上野動物園園長を歴任。著書多数。ちなみに但馬とは遠縁である。
その人の正確な氏名は誰も知らない。「安さん」とだけ呼ばれていた三十歳半ば(ママ)の男の人である。縦縞の着物を着て一本のハーモニカを懐に、毎日のように動物園に通ってきた。いつも、まっすぐスージーの檻の前に行き、何かを話しかけるように長時間を過し、夕方になると、決まってハーモニカを吹く。メロディはいつも「夜来香」(イエライシャン)であった。
スージーも、魅せられたように、その音に耳を傾ける。二人の間には、たしかに他の人とはちがう心の交流があったと思う。
安さんは、知恵遅れの方ではあったけれど、心は子どものように純であった。
「スージーと結婚したい」
彼は、ある日の夕方、決心したように、飼育係長の山崎さんに申し込んだ。
「スージーは、結婚にはまだ若すぎるよ。もっと大人になったらね……」
山崎さんは答える。
彼は一瞬、悲しそうな顔をしたが、黙ってうなずき、やがてハーモニカを吹き出した。
それからしばらくして、彼の姿が見えなくなった。噂によると、家族ともども遠くへ引っ越していった、という。
その後、彼の噂は、誰も聞かない。
夜来香のメロディだけが私たちの耳たぶに残っている、スージーは、それほどまでに、人間的な存在であった。ということであろうか――。
スージーはその後、大腸瘻(腸に穴があいて皮膚の表面に口を開いたり、腸の穴を通して他の臓器とつながる症状)に罹り、一度は手術に成功、回復に向かったものの、不幸にして再発。昭和44年3月、息を引き取っていいる。術後は模範的な患者で、中川氏が「体温だよ」と声をかけると、自分から腕を上げ、脇の下に体温計を挟み込んだという。
最期の瞬間、昏睡の中で、山崎氏がスージーの名を呼ぶと、一瞬だけ意識を取り戻し、小さく声を上げた。山崎氏にはそれが、はっきりと「さよなら」と言っていると聞こえたという。
女優の松島トモ子さんが自身のブログで、仲良しだったスージーの思い出を語っています。合わせてお読みください。