目からビーム!138 島田雅彦は二度死ぬ
「せめて(安倍元首相の)暗殺が成功してよかった」。
島田雅彦氏のこの発言は、明らかに文学的な発言ではなく政治的発言である。彼が創作物の中で、いかにテロを礼賛しようが、テロリストを褒めたたえようが、それ自体を止める権利は誰にもない。ミステリー作家に殺人を描くな、というようなものだからだ。
しかし、政治的な発言となれば、話は別となる。少なくとも実際に起きたテロ事件を喜ぶような人間は、大学の教壇に立つべきではない。「成功してよかった」は「失敗していたら悔しい」ということであり、これは石原啓氏の「でかした」発言よりも一歩進んだ、より積極的なテロの肯定を意味する。聞き方によれば、暗殺計画を彼が予め知っていた、あるいは関与していたともとれる危険性をはらんでいる(もちろん、それはないだろうが)。言葉の使い方は注意したいものだ。これは自戒もこめて。
今回の一連の騒動は、島田氏にとって二つの死を意味すると僕は思う。
一つは、今もいった教育者としての死だ。人にものを教える立場の人間にとって許されざる発言であり、そのあやまちを素直に認められないのであれば、この上、教授職にしがみつくのはさらなる醜態に見える。
もう一つの死とは、文学者としての死である。島田氏が夕刊フジの質問に答えるという形で発表した弁明文(?)を読んでの率直な見解だ。あのダラダラと要領を得ない文章が、小説家を名乗り日本を代表する文学賞の選考委員を務めている人物の筆先から発せられたものであるとはにわかに信じがたかった。内容も支離滅裂きわまる。岩田温氏も指摘しているとおり、「テロが成功して良かった」と語りながら、「民間人の殺戮を擁護していない」と主張する矛盾をご本人はどう思うのだろうか。テロの話から敵基地攻撃能力など安全保障の問題に論が飛ぶのも無理がある。
もし、教え子である学生が、このような奇っ怪な日本語で書いた小論文を提出したとして、島田氏はどのような採点をするのだろう。まさか、「優」ではあるまい。いや、大学の論文以前の問題で、平均的な中学生だって、もっとしっかりした日本語を書くはずだ。
結局、彼はテロリズムへの憧憬を作品として昇華することを放棄し、かつ、あの駄文でもって文学者としての自死を選んだのか。物書きは書けなくなったときに潔く筆を折るべきだと思う。おっと、これもまた自戒をこめて。
(初出)八重山日報
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