(単行本未収録)嫌韓はマスコミが作った~恐ろしきオキシキナ効果の逆作用
「刃傷松の廊下」と日本人
嫌韓ブームなどという言われ方をします。あの熱狂的な韓流ブームはどこへ行ったのだ、という声も聞かれます。私に言わせると、韓流ブームが終わったのでも嫌韓ブームが始まったのではなく、両者はほぼ同時期に生まれ、パラレルに存在したのです。ただし、マスメディアが取り上げるのが韓流ばかりであって、嫌韓はネットを中心にしてサブ・カルチャー的に浸透していったという違いがありますが。
韓流から嫌韓へというフレーズを聞くたびに私はある人物の名前を思い出さずにいられません。力道山時代のプロレス界の名レフェリー・沖識名(おき・しきな)です。彼がなぜ名レフェリーなのか? 公明正大、公正無私なジャッジを信条としていたからではありません。観客のヒート(熱狂)をマックスにまで盛り上げる名人だったからです。
彼の仕事が一番光るのはタッグマッチでした。外人組の反則にはとことん甘く、日本組のタッチやロープ・ブレイクはわざとらしく見逃して、観客を極限までにじらつかせるという、今では古典的となったレフェリングの、彼は元祖でありました。外人組のコーナーに捕まり血だるまにされるのが、これまた"やられ"の名優・吉村道明でした。息も絶え絶えな吉村がどうにか外人勢の攻撃をかい潜りタッチに成功、力道山がリング・インすると、会場は割れんばかりの大歓声。怒りに燃えた力道山が放つ伝家の宝刀・空手チョップに、会場の観客は、あるいはテレビで試合を見ている視聴者の興奮のボルテージは最高潮に達します。いえ、大爆発といっても過言ではないでしょう。
この「レフェリーがヒール(悪玉)に肩入れする」というヒート(盛り上げ)のパターンは、当時、プロレスの本場といわれたアメリカのマット界でもあまり見ることがなく、おそらくは沖識名と力道山が、プロレスを輸入する際に、日本人向けに独自のアレンジをほどこした結果だと思われます。
「我慢に我慢を重ねて最後に爆発」――要するに刃傷松の廊下、日本人が好む悲壮の美をプロレスのマットに持ち込んだのです。時代は少し下りますが、全共闘世代の学生たちに支持されたという高倉健の任侠映画にしても「我慢の末の殴りこみ」という点ではこの伝統パターンを踏襲しています。革命を夢想した彼らもやはり日本人的センチメンタリズムとは無縁でなかったということです。
そもそも力道山のプロレス自体が大東亜戦争の代替行為として成立していたということの意味は大きいといえるでしょう。体躯で勝るガイジン(白人)が反則の限りをつくす→それを見て見ぬふりをするレフェリー(国際社会)→いじめ抜かれギリギリまで我慢した日本人(力道山)の怒り爆発(真珠湾攻撃)、という追体験ドラマです。戦争では負けた日本(組)ですが、リングの上ではみごと悪辣なガイジンをやっつけて終わりです。
まだまだ敗戦ショックを引きずっていた当時の日本人にとって力道山は、まさに声なき英霊の声を代弁してくれる預言者(prophet)の役目を担っていたといえます。その、日本人の資質に誰よりも精通していた力道山が朝鮮半島生まれの帰化人だったという事実は実に興味深いところです。
ちなみに沖識名は本名・識名盛夫。沖縄生まれで幼少の頃、両親とともにハワイに移住した日系アメリカ人でした。
韓流とともに始まった嫌韓
コマーシャリズムによって、「韓流」という言葉が生まれたのは2003年(平成15年)のドラマ『冬のソナタ』からですが、実質的なそれは前年2002年の日韓サッカー・ワールド・カップを起点とします。
当初、日本の単独開催に決まりかかっていたものをFIFA内のさまざまな政治的事情や韓国のロビー活動が重なって、結局共同開催に落ち着いたものですが、日本はその決定を快く受け入れ、国内はむしろ共同開催を歓迎するムードに盛り上がりました。韓国にとっては1988年のソウル五輪に次ぐ国際イベントということもあり、彼らの大会に向けてのテンションの高さは充分に伝わってきていましたし、日本にとっても「近くて遠い国」という言葉に象徴される、それまでの、どこかよそよそしい両国関係を改善する好機と思われたのです。TVでは各局こぞって韓国特集が組まれ、韓国チームを応援しようという翼賛的空気が流れていましたし、それは概ね国民の総意でもありました。
ところが、いざ大会が始まってみると、韓国選手のラフプレーや韓国チーム絡みの不可解なジャッジの連続、対戦チームの選手の写真を黒枠で囲んだボードを掲げたりなどの韓国応援団のマナーの悪さを目の当たりにさせられた日本のサッカー・ファンがいっせいに拒絶反応を示し出したのです。
主に彼らの声が飛び交ったのは、インターネットの世界でした。当時はまだスマートフォンはありませんでしたが、スタジアム内外で展開するそれらの様子はPCを通してほぼリアルタイムで不特定多数のファンに共有され、それがひとつの”世論”を形成していったのです。その一方で、TVでは、局アナもスポーツ解説者も、韓国チームのダークな部分には一切触れることもなく、相も変わらずの「日韓友好」「韓国を応援しましょう」といったトーンで番組を進行していくのが常でした。それがまたネット世論の疑念と怒りを増幅させるに充分でした。韓国礼賛一色に染まるTVメディアと韓国に不審感をもつネット世論の乖離が起こったのです。
ピ(1円)という恥ずかしい現実
この傾向は、マスコミ主導のいわゆる韓流ブームが始まるとより顕著になりました。『冬のソナタ』あたりはまださほどでもなかったのですが、名も知らないような韓国芸能人の曲がいきなりオリコン1位になったり、コンサートチケットが数時間で完売したりの“怪現象”が起きるたびに、ネット上では粗探しも含めての嫌韓ムーブメントが加熱していったのでした。ピといかいう歌手のチケットがヤフー・オークションで「1円」で投げ売りされている事実や、日本で売り出し中の韓流女優の過去の反日活動歴などがネットを通して広まって行きました。
その間には、某局の韓国ドラマ偏重を嘆くツイートをした男性俳優が所属事務所から解雇されたり、「韓国の国家ブランド委員会がYouTubeの再生回数をアップするように国民に呼びかけている」と解説した評論家、「K-POPよりJ-POPが好き」と発言した芸人が何の説明もないままレギュラーを降板するという異常事態もありました。まだまだ、地上波メディアでの韓国批判はタブーだったのです。
李明博の愚かな一撃
その流れが一変するのが、2013年(平成24年)の李明博大統領(当時)の竹島上陸と天皇陛下侮辱発言でした。政権末期の韓国大統領が反日カードを切るのはいわば恒例行事でもありますが、さすがにこれは越えてはならぬ一線を越えるものだったのです。
さすがの既存メディアも無視することができず、韓国の現役大統領のこの狼藉をいっせいに報道しました。蟻の一穴が巨大な堤防を崩壊されるように、これが転機となって日本人のサイレント・マジョリティが10年間溜め込んでいた韓国に対する不審感や嫌悪感のマグマが一気に地上へ噴出したのでした。まさに、じらされるだけじらされて、ついに飛び出した空手チョップといえます。
俳優えなりかずき氏が番組の中で公然と「韓国が嫌い」と言ってのけるなど、有名人の韓国批判もこれをきっかけに解禁された感がありました。彼が韓国を嫌う理由としてあげていたのは「自信過剰」「反日教育」「スポーツにナショナリズムをもちこむ」などで、どれも正統な韓国批判といえます。お笑い芸人や毒舌タレントではない、彼のような、年齢不相応に老成した真面目なキャラクターで知られるタレントの発言だけに、視聴者にも説得力をもって受け入れられたようです。
「見えていない」を押し通すメディア
いわゆる嫌韓感情というものがあるとしたら、それを育て上げた土壌は2003年から10年間の韓流ブームということになります。つまりはマスコミなのです。
プロレスのレフェリーの重要な仕事のひとつは「見て見ぬふり」です。「見えないふり」といったほうがわかりやすいかもしれません。外人レスラーがタイツから凶器を取り出すのを会場の観客やTVの前の視聴者は確かに目撃しているのですが、なぜかレスラーの至近距離にいるはずのレフェリーには「見えていない」のです。この「見えていない」を自然に、かつ適度なわざとらしさをまじえて演じることに関しては、沖レフェリーの右に出る者はいませんでした。レフェリーに「見えていない」以上、反則は成立せず(証拠がなければ犯罪が立証できないのと同じ理屈で)、リング上の試合はそのまま続行されていきます。むろん、観客の不満は不正を働く外人レスラーと同時にこの「トロい」レフェリーにも向かうのです。
「レフェリー、どこを見ているんだ!」「お前、それでも日本人か!」
観客のストレスが溜まれば溜まれるほど、その後の空手チョップの劇的効果も高くなります。レフェリーに浴びせられた罵声はいわば、それを計るバロメーターといっていいでしょう。沖レフェリーは背中で罵声を受けながら、日本組のタッチの絶妙なタイミングを探っているのです。
サッカー・ワールド杯における疑惑の裁定、明らかに不自然なヒットチャート、これらは観客(ネット世論)には見えるけれど、なぜかレフェリー(マスコミ)には「見えない」外人レスラーの反則行為という喩えで説明できます。
そして、2011年、韓流偏重自粛を求めて複数回、のべ1万2千人を動員したというフジテレビに対する抗議デモは、レフェリーに対する観客の怒号と符号します。
つまり、韓流ブームを煽るだけ煽ったTVマスコミは、当人の思惑とは別として、往年の名レフェリー・沖識名の役を演じていたことになります。嫌韓ブームを作ったのはマスコミであると主張するゆえんです。
プロレスは興行ですから、レフェリーの不可解な裁定で日本組が負けたとしても、「次やれば、リキさんが勝ってくれるはず」と期待をこめて観客がまた会場に足を運んでくれるからよいのですが、しかし、メディアは一度、大衆からそっぽを向けられれば、それで終わりで、視聴者はネットへと流れていくだけです。現在のTVメディアの凋落も、コンテンツ料の安さに頼った安易な韓流ブームから始まったのではないかと思います。
朝日新聞・吉田証言訂正のその後
2014年(平成26年)8月5日付の朝日新聞がついに、同紙が長年、「慰安婦強制連行」の根拠として位置づけていた吉田清治証言が虚偽であることを認めました。1982年(昭和57年)9月2日、同紙が吉田証言を初掲載して以来(朝日が同証言を紙面に取り上げたのは計16回)、実に32年ぶりの訂正ということになります。
そもそも慰安婦問題なるものは、朝日のこの世紀の大誤報(捏造といっても差し支えありません)からすべてがスタートしたのです。日韓関係を飛び越え、今では国際問題にまで発展しており、その間失われた国益を金額に換算するならば、天文学的な数字に達します。
そんな国賊行為を仕出かしておきながら、同社は記事の取り消し・訂正はしたものの、公的な謝罪は一切しないというスタンスを早々に明らかにしました。その上で、死人に口なしとばかりに、すべての責任を故人である吉田清治に擦り付けた上で、慰安婦の問題の本質を「強制の有無」ではなく、「あまねく女性の人権の問題」にすり替える算段のようです。これについては、国民はおろかメディア各社も怒りを露わにしています。
朝日とは長年、天敵関係にあった産経新聞や保守色の強い読売新聞はむろんのこと、朝日に同調的な記事が多かった毎日新聞まで、誤報問題追求と謝罪を求めて対朝日戦線に参戦してきたのには少々驚きました。文春、新潮といった大手週刊誌、さらにはスポーツ紙も合わせれば、完全に朝日包囲網が形成された感さえあります。
各社、機を見るに敏といってしまえばそれまでですが、裏返せば、戦後続いた朝日新聞の専制に対するこれも沖識名効果という見方もできるのです。
「日本のクオリティ・ペーパー」を自認する朝日新聞の権威と影響力は、他紙にも及んでいました。新聞界は、朝日が論調を決め、他紙もそれに追随的な記事を書くという暗黙の了解のようなものが長く支配していたのです。
朝日に非同調的な産経新聞でさえ例外でなかったということは、朝日・毒ガス報道に対し紙面で徹底抗戦した産経新聞元デスク・高山正之氏からも直接伺っております。1984年(昭和54年)10月31日付の朝日新聞が、日本軍による毒ガス戦と断定した「これが毒ガス作戦と元将校」という見出しの写真つき記事を掲載したこと対して、のちに同紙の論説委員となる石川水穂記者が、「毒ガスではなく煙幕」であるという原稿を書き上げたのですが、どのデスクも朝日新聞に遠慮して掲載に躊躇していたところ、これを採用し、同年11月11日付のサンケイ(当時)紙面に掲載させたのが、高山氏だったのです。これに対し、当時の朝日新聞社の佐竹昭美学芸部長が産経新聞編集局に抗議に訪れ、「朝日に盾突くとはいい度胸だ」「産経なんか潰してやる」などの暴言を吐いたといいます。
むろん、天下の朝日とはいえ、他紙の編集権に口を出したり、ましてや「潰す」ことなど不可能なことではありましたが、そんな脅し言葉が半ば通用するほどに、当時「朝日新聞」の看板のご威光はモノを言ったのです。ちなみに、この「毒ガス」は産経が報じた通り「煙幕」であったことが判明し、朝日新聞は11月14日付紙面で訂正記事を掲載しています。
メディアの頂点に君臨し、世論をミス・リードして来たのが朝日新聞とその関連グループでした。その一方で、保守論壇を中心に継続的なアンチ朝日のインテリジェンスも存在しておりましたが、朝日の牙城を押し崩すまでの力にはなっていませんでした。アンチ朝日の保守層は切歯扼腕しながら朝日の偏向報道を看視してきたといえます。ここでも、リング上を仕切るレフェリー(朝日)と観客(アンチ朝日)の二重構造が出来上がっていたのです。
そして、最初の空手チョップとなったのが、吉田証言の訂正でした。むろん、遅きに失したとはいえ訂正自体は良しとするにやぶさかではありません。しかし、その後の姑息な逃げの姿勢が、世論の怒りを誘発してしまったといえます。多分にレフェリーの判断ミスでもありました。せめて反則負けにするべきところを不可解な両者リングアウトにしようとしまったために、すべてが茶番であることを白日のもとに晒してしまったのです。
朝日新聞の長期購読者の解約が相次いでいるといいます。同紙への広告の出稿の取りやめを決めた企業も現れました。朝日御用学者、御用文化人も今後踏み絵を迫られることでしょう。自ら転ぶ先生も少なくないかもしれません。どちらにしろ、この問題はこれだけではすまないということです。
日本人は他人を疑うことが苦手な民族です。そして我慢が好きな民族のようです。30年も長きの間、国家的性犯罪者の汚名を着せられながらもひたすら耐え忍び、10年もの時間、世界一の反日国との友好を信じこまされてここまで来ました。しかし、それもどうやら終わりのようです。「我慢に我慢を重ねて最後に爆発」、このあまりに日本人的な情緒を、驕れるメディアは軽視し過ぎたのです。
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