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発掘!李承晩ラインに不当拿捕された漁師と家族の座談会

今年(2025年)は、日韓国交(1965年)からちょうど60年目。韓国が一方的に李承晩ラインを海上に引き、竹島を奪っていったのは、それをさかのぼる1957年1月、73年前ということになる。未だ竹島は還ってこない。還ってこないのは、領土だけではない。あのラインによって奪われた日本の漁民の生命、財産(漁船の値段はほぼ家一軒ぶんに当たる)は永遠に戻ってはこないのである。無事帰還できても、劣悪な環境下での抑留生活で心身に重篤な後遺症を残した者も多いと聞いた。
雑誌『家の光』1960年6月号に「帰れてよかった=帰国した韓国抑留者とその家族は訴える」と題した抑留漁民とそれぞれの夫人(一人は母親)を交えた座談会記事を見つけた(司会は直木賞作家の小山いと子)。本来なら全部文字に起こした上でここに再録すべきなのだが、時間的労力的な問題で断念、当時の雰囲気を伝える意味からもコピーでの再現となった。スキャニングでなく写メなので見にくい部分もあるかもしれないが、クリックで拡大していただければ、お読みいただくことは充分可能かと思う。重ねてご容赦をお願いしたい。既に著作権も切れていると思うので、複製・保存は各自の判断にお任せするし、できれば拡散していただきたい。

小山が拿捕漁民をテーマにした小説を書いたとあるが、題名を知りたい。
韓国船はいきなり撃ってくる。海に飛び込んで逃げても今度は海面に向かって撃ちまくる。まるで殺人を楽しんでいるかのようだ。

【解説】「刑期も日韓会談の雲行いかんで…」。韓国側が漁民の生命を日韓交渉のための人質にしていたことがよくわかる。また、この前年に北朝鮮帰還事業が始まっており、韓国側は激しく反発、これも漁民の刑期に影響した。

【解説】文中に出てくる鬼畜の看守・某君とは白相天(ペク・サンチョン)のこと。この白相天と7・17デモについては、こちらを参照のこと。

「一人一人の韓国人は、呼べば答える心をもっている人ですよ」。こういう言葉が出るところが実に日本人らしい。

以上。今後も、こういった発掘シリーズは続けてみたいと思います。乞うご期待。

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但馬オサム
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