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ヒーロー二代 キャプテンウルトラとハリマオ
中田家に流れる”正義“の血
『キャプテンウルトラ』でキャプテンを演じた中田博久さん、そのお父上も戦前に活躍された俳優で、中田弘二さんといった。代表作は、はなんといっても昭和18年の『マライの虎』(大映)だろう。
彼が演じたのは、マレー、タイを股にかけた盗賊団の頭目で、のちに藤原岩市中佐率いる特務機関=F機関の諜報工作部員として活躍、日本軍のマレー攻略を陰で支えた実在の人物、ハリマオこと日本人・谷豊(たにゆたか)である。
キャプテンウルトラが宇宙を舞台に悪漢宇宙人や怪獣と闘った空想上のヒーローなら、ハリマオはジャングルを舞台に、アジア支配を続ける白人や手先の華人匪賊と闘った実在のヒーローだ。父子2代にわたってヒーローを演じた役者さんたちというのも珍しいのではないか(ま、博久さんは悪役のイメージも強いけど)
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ちなみに、弘二さんの父親、つまり博久さんのおじいさま中田猪十郎さんは、あの頭山満の玄洋社のメンバーで、孫文とも親交があったという人物。一時期、家で孫文を匿っていたこともあったというから、なかなかすごい家系ですね。
ハリマオ=谷豊について
谷豊は1911年(明治44年)、福岡県に生まれている。2歳のときに一家そろってイギリス領マレーのクアラ・トレンガヌに移住。父母は日本人街で理髪店を営んでいた。
豊はマレーのジャングルに抱かれマレー人を友に少年時代を過ごした。チビながら負けん気が強くケンカ早い反面、親分肌な性格で、豊のまわりには自然と仲間が集まってきたという。のちのハリマオの片りんはここにある。
青年期に入ると、徴兵検査のために単身帰国、叔父の家に寄宿するが、身長が足りず不合格となり、そのまま内地で就職。そんな折り、彼のもとに、7歳の妹・静子が惨殺されたという報が入る。満洲事変(昭和6年)以来日本に恨みをもつ華人の一人が青龍刀をもって襲撃、理髪店の二階で風邪のため寝込んでいた静子の首を切断し、持ち去るという猟奇的な事件だった。
怒りに燃えた豊は、復讐を誓い単身再びマレーに向うのである。
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しばらくして、マレーではイギリス人や華僑の金蔵ばかりを狙う神出鬼没の盗賊団が名をはぜていた。彼らは、盗みはすれど殺生はせず、奪った金品の一部は貧しい人たちに分け与えることで知られる、文字通りの義賊であった。その盗賊団のボスを現地人は、ハリマオ・マラユ(マレーの虎)と呼んで英雄視した。
闇のヒーローだったハリマオも、ついに逮捕されてしまう。とはいっても、先に警察に捕らえられた部下の引き渡しを談判しに行って、そのままお縄になったというのだから、いかにも親分肌の彼らしい。そのハリマオに救いの手を差し伸べたのが、F機関(Fは藤原の意)のエージェントの神本利男だった。彼が多額の保釈金を出し、ハリマオの身元引受人になったのには理由があった。密林を自由に駆け抜け、3000人といわれる部下と多くのアジトをもち、なによりも現地マレーの人々の心を捕えているハリマオを諜報員としてスカウトするためだ。だが、豊は日本人である前に“マレー人”だった。イギリスや手下の華僑に反感は憶えてはいるが、御国(日本)のためにと言われてもこれもまたピンとくるものではなかった。そんな豊が最終的に、神本の説得に首を縦に振ったのは、一にも二にも神本の熱意と人柄に打たれてのもとだという。以来、ハリマオは神本をトシさんと呼んで慕い、その死の瞬間まで彼と行動を共にする。
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ハリマオの工作活動は、現地人の宣撫、(英国に雇われた)マレー人警察官の買収、英国軍の要塞建設の阻止、英国軍が橋に仕掛けた爆弾の撤去、など多岐にわたっている。
映画『マライの虎』
実在のハリマオの死の1年後(1943年)に制作封切りされた。静子の惨殺事件時、豊がマレーにいたことになっていたり、彼の死を銃撃戦の結果として英雄的に描いたり(実際はマラリア死)と細部の違いはあるが、ほぼハリマオの実像に近い。
いわゆる戦意高揚目的の国策映画だが、純粋に活劇映画としての娯楽性も高く、特にハリマオが妹の仇を追い詰めるシーンは、僕(但馬)も手に汗を握った。
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中田弘二の演技も素晴らしく、前半の豊にいちゃんと後半のハリマオでは、顔つきからしてガラッと変わるのも見もの。豊の母親を演じるのは浦辺粂で、実は彼女、中田さんとは7つしか歳が離れていないというから、この当時から老け役を得意としていたのだろう。実在の谷豊とは9歳違いである。他に、因業ジジイをやらせたら日本一の個性派悪役・上田吉二郎もハリマオに寝返る英国総督の岡っ引き巡査を好演している。
なお、イギリスの他、華僑も悪役として登場するが、すべての中国人が悪いのではない、悪いのは陰で糸を引く共産党だ、とする設定は、当時の日本人の支那観を見るようで興味深い。
▲映画『マライの虎』(大映)。著作権切れです。
中田弘二は、戦後は俳優を引退、長崎県議を一期務めたあと、女優原節子の義兄で映画監督、右翼活動家だった熊谷久虎と映画製作会社・芸研プロダクションを設立。中田博二の名義で児童映画の名作『ノンちゃん雲に乗る』(1955年)には、プロデューサーとしてクレジットされている。
中田博久さんには、お元気なうちにぜひお父様、おじい様についても語っていただきたいものである。
ハリマオ伝説その後
戦後、テレビ時代となって、ハリマオ伝説がブラウン管(この言葉も死語か)で復活する。『快傑ハリマオ』(1960年)がそれだ。アジア解放を旗印に、白人や華僑の武器商人を敵に回してハリマオとその仲間が大活躍するというのが主なストーリーだが、こちらのハリマオの正体は、離脱した海軍青年将校。現地人を鞭打つ悪鬼の白人どもに雄々しく登場するハリマオ、というOPは今見ても胸躍るが、戦後15年、SF講和条約から9年しか経っていない時期に、よくこれがテレビに流れたなと思う。いや、戦中派が多数だったあの時代だからこそ、というべきだ。どちらにしろ、今だったら左翼が大騒ぎだろう。
え、和田勉の『ハリマオ』(1989年)? あれはなかったことにしましょう、和田監督ご本人のためにもw
▲超絶カッコイイ『快傑ハリマオ』のOP。1~5話まで試験的にカラーで撮影された。
▲おまけ。マレーシア人留学生マストゥラちゃんが語るハリマオ伝説
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