目からビーム!133 平和と安定は左翼の敵
モーセの跡を継いでイスラエルの民を率いたヨシュアが、約束の地に着いてまずやったことは徹底した虐殺だ。「ここは神から与えられた俺たちの土地だ。勝手に住み着いた異教徒には死あるのみ」ということらしい。なるほど、どっかで聞いたような話ではないか。
パレスチナ問題なんて何千年も前から続いているのだ。思い上がった日本の過激派ごときが首を突っ込んでも話をややこしくするだけで、ナンの解決にもなりゃあしない。おそらく、真の意味の中東和平など、あと100年先、200年先の遠い未来のお話だろう。
僕は全共闘世代よりひと回りほど下の世代で、時代の空気として彼らの価値観に強く影響も受けているが、一方、左翼的なものに対してどこか冷めた目ももっていた。
左翼は、二言目には「自由」「解放」といって古い秩序に盾を突くが、彼らの信奉する社会主義の国に自由はあるの? といった感じ。リーバイスのジーンズを履きコカコーラを飲みながら、アメリカ帝国主義粉砕!もないだろうと正直思ったし、親のカネでノホホンと大学行きながらプロレタリアと共闘せよ、もどこがおこがましく見えた。そして、ソ連邦崩壊で明らかになった社会主義国の正体。万民平等の体制になぜかいる赤い貴族、そして、いないはずの無学な労働奴隷たち。まるでその構図は、ロシア帝国末期そのまんまではないか。革命で殺された者たちも浮かばれまい。
左翼のこういった矛盾は実は今もあまり変わっていないのかもしれない。
「民族主義を捨てろ」「地球から国境をなくせ」と言い続けていたやつらが、歴史的に存在しなかった民族対立を和の国に持ち込み、列島に国境線を引こうとしているのだ。彼らは、アイヌや琉球は先住民族だと言い張る。搾取されるマイノリティだと。そのうち、蝦夷だ、熊襲だ、隼人だ、と言い出すのだろう。それでいうなら僕なんぞ、四代続く江戸っ子、チャキチャキのマイノリティだ、文句はあるか。
そして、令和の世に、引かれようとしている国境線はふたつ。ひとつは津軽海峡上に、もうひとつは与論島と沖縄の間に。
民族対立の行きつくところは殺し合いと相場が決まっている。平和を拒み、分裂と紛争を好むのは実は左翼なのである。不満のない世の中に、革命が生まれようもないからだ。