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追悼・大山のぶ代さん 幻の企画・実写版『ドラえもん』

実は大山ドラえもんは三代目

 大山のぶ代氏といえば、ドラえもん。これはもう国民的に定着したイメージである。もっとも、僕の世代では『ハリスの旋風』(1966~1977)の石田国松役をなつかしく思い出す人も多いのではないか。
 大山氏の訃報を伝えるニュースで、「初代ドラえもんの声」と紹介されるものもあったが、これは間違い。水田わさび氏に受け継がれ、現在も続くテレ朝版『ドラえもん』(1979~)以前に、日テレ版『ドラえもん』(1974年)が存在していたことは、昭和アニメオタクにはよく知られたことである。この日テレ版では、ドラえもんの声を富田耕生(前期)、野沢雅子(後期)が担当しており、正確にいえば、大山氏は3代目にあたる。日テレの富田氏から野沢氏への交代に関して、単なるテコ入れ以外の理由があったのかは定かではない。裏番組が『マジンガーZ』だったこともあり、視聴率的には大いに苦戦を強いられていた日テレドラだが、その『マジンガーZ』で悪役ドクター・ヘルを演じていたのが富田氏だったということに関係あるのだろうか。個人的な意見をいえば、ドラえもんの丸っこい体形に、富田耕生氏の声は、それなりにハマっていたように思う。大山ドラえもんはのび太を「のび太くん」とくん付けで呼ぶが、富田ドラは「のび太」と呼び捨てだった。確か原作でも初期は呼び捨てだったと記憶する。

日テレ版『ドラえもん』。タケコプターはヘリトンボと呼ばれてた。のび太がタイムマシーンを使って子供のころに死んだおばあちゃんに会いに行く感動エピソードは日テレ版で観た。テレ朝版ののび太役・小原乃梨子氏は日テレ版ではのび太のママを担当していた。

実写版『ドラえもん』と大山のぶ代

 ソフト化はおろか一度の再放送もなく、制作会社解散のどさくさでフィルムも紛失したため現在においても視聴不能なせいか、日テレドラは「幻の」という冠つきで語られることも多いが、それ以前、まさしくに”幻”で終わった実写版『ドラえもん』企画が存在したのを知っている人はどれくらいいるだろうか。
 幻作品の制作に予定されていたのはピープロ。以下は、ピープロ総帥うしおそうじ師から僕が直接聞いた話を中心に進めたい。
 ある日、『ドラえもん』のアニメ化企画をもって、藤子不二雄両人(当時はまだあくまで”合作”が建前だった)がピープロを訪れた。藤子氏はそこで初めて、ピープロ社長鷺巣富雄が、うしおそうじその人であることを知って驚いていたという。時期的にみて、71年から73年初頭あたりと見て間違いない。日曜夜7時半のTBS不二家枠(『オバケのQ太郎』、『パーマン』、『怪物くん』)が終了して久しく、火曜6時半に時間帯を移行して放映開始した『ウメ星デンカ』も半年の短命に終わり(1969年9月)、藤子原作のアニメ番組が途絶えていた時期である。おそらく、ピープロだけでなく、アニメ制作各社に売り込みをかけていたものと思われる。
 うしお氏は両氏を連れ立って水炊き屋で打合せを兼ねて会食。『ドラえもん』を既に愛読していた師は、同作をアニメでなく実写で映像化することを提案し、同意を得たという。
 その際、ドラえもんの声優として頭に浮かんだのは、『ハリスの旋風』以来の付き合いである大山のぶ代氏だった。もし、同作の映像化が実現していれば、大山氏は名実ともに「初代ドラえもん」になっていたのである。
 ちなみに、『ハリスの旋風』で国松の相棒役のメガネを担当したのが小原乃梨子で、のちのドラえもん&のび太のゴールデンコンビもこのとき誕生していたことになるわけだ。ちばてつや氏の原作では、メガネはほんのチョイ役だったが、アニメ版での活躍に押されマンガのほうでも登場シーンが増えたという逸話もある。
 また、お腹のポケットからプロペラを出し頭に装着、空を飛ぶというアイディアは、うしお原作ピープロオリジナルアニメ『ちびっこ怪獣ヤダモン』(1967)は、『ドラえもん』(1969年に連載開始)より若干早い。

ヤダモンはポケットからプロペラを出し、空を飛ぶ。まさにタケコプター。

 うしお師によると、盟友である高山良策氏に発注し、ドラえもんの着ぐるみ検討用のひな型まで出来上がっていたというから気の早い話だが、何度も言うように映像化には至らなかった。もし実現したら、ピープロとの関係から放映はフジテレビ系であった公算は高い。その後、再度アニメ企画として日テレに持ち込まれたというのが歴史の真相のようだ。

手書きの企画書

 僕個人としては、実写版『ドラえもん』、観てみたかったと思う反面、到底現在のテレ朝版ほどの人気作品にはならかっただろうとも思う。『忍者ハットリくん』(1966)という前例があるものの、自作品の映像化には強いこだわりをもつという藤子両氏の納得のいく実写作品に仕上がったであろうかの疑問もわく。日テレドラも結局、原作者のお眼鏡に叶う出来ではなかったらしい。”幻”の作品は幻のままがよい、という結論に達するが、それではやはり観てみたいと思うのは好事家(スキモノ)のゆえんか。
 うしおそうじ師の没後、何年かしてネット古書に、実写版『ドラえもん』の企画書が出展されているのを発見した。企画書といっても、ペラ原稿用紙を束ねた簡素なもので、署名も含め「新企画書『ドラえもん』」のタイトルの筆致はまさしくなつかしい師のものである。6万円という古書価格に躊躇しているうちに、誰か書い手がついてしまったようだ。どうやら、僕以上の好事家がいたらしい。

この表紙をめくると、いかなる設定、キャスト名が書かれてあるのだろうか。映像化にあたっては、ピープロのお家芸である実写とセルアニメの合成も多用されたことだろう。それはそれで、興味がわく。

 おまけ。大山のぶ代氏に関して、うしお師からとっておきの逸話を聞いている。なんと、大山氏は猥談の名手なのだそうだ。『ハリスの旋風』の打ち上げパーティで彼女が披露した猥談は傑作中の傑作だったとか。どんな内容だったか聞きそびれたのは今にしてみると残念だ。
 師の実弟でエイケンの元プロデューサー・鷺巣政安氏にこの話を向けると、「彼女(大山氏)はとても頭のいい女性だから。猥談が上手いってのは、頭のいい証拠だよ」とのこと。
 大山のぶ代さんのご冥福をお祈りいたします。
 

刑事ドラマの脚本も書けば、料理や酒肴の本を出すなど多才な女優さんでした。

▲『ハリスの旋風』。▼日テレ版『ドラえもん』OP


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但馬オサム
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