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菅沼先生、不義理をお許しください。

 家に帰ってくるとポストに一枚の葉書。菅沼光弘先生の訃報を伝えるご家族からのものだった。「本人の志通り生涯現役を通し昨年十二月三十日八十六歳にて永眠いたしました」とある。
 90歳近いご高齢を考えれば、とも思うが、こと菅沼先生に関しては、お別れはまだまだ遠い先のこと、そう思えてならなかった。ただただ絶句です。
それほどまでにお元気だったし、頭脳は明晰。記憶力も抜群だった。僕でさえ中年以降、固有名詞や数字が閊(つか)えることもあるのに、先生はまったくそんなことはなかった。

 先生とはムックでインタビューをお願いして、以来のお付き合いだった。その後、しばらくご無沙汰が続いたが、拙著『韓国呪術と反日』をお送りしたところ、先生の方からお電話を戴き、「すごく面白く読んだよ。朝鮮半島関して、こんな視点で書ける人はいない。今度事務所に遊びにいらっしゃい」と言ってくださった。それからお付き合いが再開した。先生から伺う、さまざまな裏社会の興味深いお話――ヤクザ、在日、総連、KCIA、政商、フィクサー……それらのエッセンスとして生まれたのが大ヒット作『ヤクザと妓生が作った大韓民国』(ビジネス社)だった。以来、先生とは『ヤクザと~』を含め5冊の本でご一緒させていただいた。とりわけ『ヤクザと~』は自分の物書きの可能性を広げてくれた大きな仕事だと思っている。

菅沼先生にもこの本の出来栄えに関しては気にいっていただけていたと確信する。
新書版になるにあたって先生は「但馬くんの名前の表紙に入れなさい。やつじゃなくてちゃ出来なかった本だ」と版元に言ってくださったそうだ。


 実は先生と6冊目のコラボ本を企画中で、昨年春にインタビューも録っていたが、僕自身のスランプもあって、筆が進まぬことが続き鬱鬱と時だけが過ぎていった。年賀状でもそのことをお詫びし、完成させることをお約束したが、結局それを果たせず、不義理だけが残ってしまった。悔いが残る。原稿はすでに90%書き上げてはいるが。

 菅沼先生といえば、あの鋭い眼光である。僕はその印象を「身長180を超える長身に眼が光っている」と書いたが、写真で見ると172センチの僕とそんなに変わらない。確かにあの世代では背が高い方かもしれなが、おそらく最初お会いしたときの得もいえぬ威圧感が、より巨大に先生を見せたのだろう。しかし、実際、接してみて、こんなに優しい人もいなかった。ヤクザであろうと、民団であろうと総連であろうと、同和関係者であろうと、僕のようなチンピラ物書きであろうと、「人間」として対等に付き合う、そんな人だった。
 先生はその外見に似ず(失礼)、甘い物がお好きだった。事務所を尋ねるときはいつもケーキを持参で、先生に繋いでほしいという編集者にも、そうアドバイスしていた。ドイツ留学していたときの下宿のおかみさんが焼いてくれたチーズケーキの味が忘れられない、と先生はよく言っていた。そのやさしいおかみさんが、書棚の奥にこっそり『マイン・カンプ』(むろん禁書)を隠していた、なんて話も面白かった。
 ドイツ留学では、ちょっと艶ぽい話もあったらしい。「先生のエリスはどんな人でした?」と突っ込むと、照れ臭そうにして、「いつか話す」とはぐらかされたものだ。その「いつか」が永遠にこないと思うとかえすがえすも寂しい。
 まだまだ書きたいことはあるが、とりあえず今晩は、先生を偲んで(かこつけて?)酒場の泥になろう。

菅沼先生、ありがとうございます。不義理をごめんなさい。
 

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但馬オサム
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