カー・ジェネレーションが因襲を突き破る。半島の暮らしを変えたクルマ文化
運転手は花形商売
モータリゼーションの普及は、半島の交通と流通に革命をもたらしただけでなく、人々のライフスタイルを大きく変えていったのはいうまでもない<<自動車連合会調査によると京城府内のタクシー台数は本町134竜山巳六■道45東大門14西大門八合計に自動車連合会調査によると京城府内のタクシー台数は本町134竜山巳六■道45東大門14西大門八合計に
「一日一台平均二十三円」、これを一月、つまり30倍して、現在の金額に換算すると、タクシー一台の月の稼ぎは単純計算で100万を少し超える。記事はさらなる需要を予測するもので、タクシー業界が成長産業であることを伺わせている。
これに合わせて、シボレー、フォードなどタクシー用の高級外車も売り上げを伸ばしているという。
《しかしてこの結果、新規車輛の需要も頗る旺盛となり、フォード・シボレーの夫々新車発表を繞(めぐ)って業者よりの引合は繁忙をつげ、本年度の新車消化は全鮮で例年の八百台前後から一躍一千二、三百台に躍進するものと予想されている。》
当然ながら、タクシードライバーの需要も拡大している。運転手は花形商売だったのである。
モータリゼーションが「差別」に加えた一撃
こういった傾向は当時の新聞広告からも読み取ることができる。
「自動車運転手講義」と題した日本自動車教育会の広告(1935年)は、自動車に乗る男たちのイラストに漫画の吹き出しで、「大学を卒業するよりも自動車の運転手になれ」と語らせている。大学を出て商社に勤めるよりも手っ取り早くてよほど稼げるとでもいいたいのだろう。ちなみに当時の自動車免許収得資格は満16歳以上で普通小学校卒業程度。講習機関は2カ月間である。
これに先立つ、1920年(大正9年)の京城自動車講習所の広告はもっと切実、いや、それを通り越して、一種ただならぬムードが漂っている。
「暗黒世界から光明世界へ」「因襲的職業から解脱せよ文明的職業へ」
まるで奴隷解放運動。しいたげられた者の怨念の声が聞こえてきそうなコピーである。たかだか自動車の免許を取得するのに、この大仰な文句はなんなのだろうか。
これにつけて思い起こされるのは、21世紀現在のインドである。インドは今や、世界のIT産業に優秀な人材を輩出し続けている知る人ぞ知るIT先進国なのであるが、あの貧しいインドがなぜ、最先端産業のITの世界で突出した存在になれたのか――。「ITが最先端産業だったから」がその答えなのである。
ご承知の通り、インドにはカーストという厳格な階級制度が存在している。職業もまたカーストによって固定され、たとえば料理人の息子は料理人、道路工夫の息子は道路工夫として一生を終えるしかない。ところが、新しい産業であるITは職業としてカースト上の区分に入りようがないのである。だから、最下層のシュードラ(奴隷階級)にあっても、努力次第ではIT企業に就職し、その道で頭角を現すことは可能だった。と、いうよりも脱カーストを目指す人材がIT産業に集まり、鎬を削った結果が今日のIT大国インドを作ったとする方が正解か。そもそも、0(零)という概念を発見した民族である。インドでは3桁の掛け算を諳んじる子供も珍しくないという。デジタル思考に向いている国民なのかもしれない。
ひるがえって李朝時代の朝鮮を見てみれば、インドなみの苛烈な階級社会だったことは知られている。上から両班・中人・常人・奴婢に分かれ、奴婢階級だけで多い時で全人口の4分の1に及んだ。各階級で職業区分されているのはカースト制度と同じである。手工業、サービス業、商人、農民、芸能、巫女、僧侶、医師はすべて賤業に分類された。まさしく「因襲的職業」なのである。
日韓併合によって制度としての階級はなくなったが、李朝500年続いた身分差別、職業差別(そして地域差別)は一朝一夕には解消されるものではなかった。
併合時代に生まれた「運転手」という新しい職業は、それまでの賤業のカテゴリーには入らない「文化的職業」とみられていたのだろう。肉体労働というよりも技術職と考えられていたのである。つまり、インドにおけるITに相当するものが職業ドライバーだったのだ。その意味を噛みしめながら先の広告を見てみるとまた味わい深い。
ITの普及が、緩やかながらインド社会全体の脱カースト化の流れの一助となっているという。ひょっとして、朝鮮の身分制度の解消に、併合時代のモータリゼーションの波がひと役買っていたのではないだろうか。
初出・『こんなに明るかった朝鮮支配』(ビジネス社)
※ただし、本稿は完全版