反日のエロス~日韓関係とSM共依存(後編)
トリオリズムを教義とする韓国キリスト教カルト
統一教会(世界基督教統一神霊協会)といえば、霊感商法や集団結婚式などでたびたびマスコミを騒がせる代表的な韓国キリスト教カルトですが、同教団の教義に興味深いものを見つけました。以下、簡単に説明します。
《人類始祖、アダムとエバ(イヴ)は、それぞれが人間的に十分な成熟をし、個性を完成させたあと、神が定めた時に結婚して夫婦となり、子女を産み増やし、神の愛に包まれた家庭を築くべきであった。それなのにエバは、サタンの化身である蛇の誘いにのって、サタンと淫行を行った。その後エバとアダムは、時ならぬ時に淫行を犯し、それが罪の根、原罪となった。それによってサタンの血が受け継がれ、その罪は、人類歴史上とぎれることなく綿々と流れてきている。》
これが、統一教会が聖典とする「原理講論」におおける〈堕落論〉です。いうまでもなく、旧約聖書の創世記の「失楽園」の下りの、彼ら(統一教会)なりの翻案です。創世記では蛇にそそのかされたイヴが「善悪を知る木の実」を食べるのですが、統一教会の教義ではイヴ(エバ)が蛇と性交するという、かなり淫猥な話にすり替わっています。つまり、アダムは蛇(サタン)に妻を「寝取られた」わけで、この教義の根本をなすのはトリオリズムです。
このあとの教団の秘密教義では、原罪で穢れた血を清め、祝福にいたるために「血統転換」が必要だと説くとされています。「血統転換」とは「血分け」とも呼ばれ、要するに教祖・文鮮明との性交を意味するのです。統一教会の名物(?)の合同結婚式は、いわばマス化、簡略化した「血分け」儀式ともいえます。
「血分け」という発想自体は決して文鮮明のオリジナルではなく、一般に混淫派と呼ばれる異端キリスト教諸派に伝わるもので、文鮮明は若い頃、その一派である金百文(キム・ペクムン)率いるイスラエル修道院に半年間所属し、そこから教義の多くをコピーし、統一教会を興しました。
統一教会の分派である禹明植(ウ・ミョンシク)の禹グループは、原罪論をさらに発展させ、「カインがアベルを殺害したのは、アベルがカインの妻と関係してメシアを生もうとしていた実体的血統転換の現場を見て、それに激怒したから」「ノアがハムの妻と関係してメシアを生もうとしていたのに、それにハムが怒った」などと説いているそうですから、韓国キリスト教の"寝取られ"コンプレックスも根が深いものがありそうです。この他に、1万人を越える女性信者に性暴行を働き、07年5月、逃亡先の中国で逮捕された摂理(キリスト教福音宣教会)の教祖・鄭明析(チョン・ミョンソク) もかつては統一教会の信者でした。
さて、統一教会の教義ですが、これからが面白い(?)ところで、彼らのいうアダムとエバの関係は、そのまま韓国と日本の関係に投影されるのです。韓国=アダムの国、日本=エバの国という主張です。すなわち日本は不貞を働いた妻ということになり、この不貞はそのまま日韓併合という"原罪"に投影され、「罪深き妻エバ=日本は、寛容なる夫アダム=韓国に懺悔し、尽くす義務がある」と説くのです。その義務のひとつとして、金銭と労働力の徹底した提供です。日本人信者はどの国の信者よりも多くの献金を教団に収めなければいけないとしています。また、日本がエバの国である根拠のひとつに、天照大神という「女神」を崇拝しているということを挙げるそうです。彼らにしてみれば、女性は劣った性であり、女神は邪神ということになります。
この、徹底した男性原理主義と二元論は、キリスト教というよりも韓国の精神文化に深く根を張る朱子学からの影響とみていいでしょう。統一教会に限らず韓国のキリスト教は、朱子学と土着のシャーマニズムと密接な係わりがあります。キリスト教(プロテスタント長老派)が、韓国に根を下ろす際、土着のシャーマニズを取り込んだのです。イザヤ・ベンダサン(山本七平)は、「キリスト教も日本に来れば日本教になる」と言いましたが、韓国ではキリスト教は日本以上の変質を遂げローカライズされてしまったとみるべきで、韓国のキリスト教団のほとんどすべては、カルト的性格を帯びていると断言してかまいません。
それはともかく、これ(韓国=アダム、日本=エバ)はひとり統一教会を離れ、韓国人の対日観を知る上でとても興味深いロジックかと思います。
先ほどの「独島=妻」論では、「妻(竹島)を寝取る相手」が日本でした。統一教会を初めとする混淫派諸派の教義では、日本は「寝取られた(あるいは不貞を働いた)妻」に立場が変わりますが、いずれにしても韓国は「寝取られた(る)夫」という屈辱的な役回りを好んで演じているピエロということになります。
コキュ自慢の国?
フランス語には「寝取られ男」を一語で表すコキュ(cocu)という言葉があります。さすがアムール(恋愛)の国だけあって、この手の語彙は実に豊富なようです。もっとも、女房を寝取られる程度の男ですから、多分に「間抜け」「おかわいそうに」といったニュアンスも含まれています。明治のころ、日本を訪れたフランス人は「帝国ホテル」という名前をこう覚えたといいます、……Tu es cocu hotel(=テュ・エ・コキュ・オテル/「お前は寝取られ男」旅館)。この話、フランス人の友人に話したら、初耳だったらしく大笑いしていました。どちらにしても、「俺はコキュだ!」と自分から言い回る男というのも珍しいかと思いますが、その唯一の例外が実は韓国人なのかもしれません。
韓国のやっていることは、「俺は寝取られ男だ!」と叫びながら、「寝取られた妻」あるいは「妻を寝取ろうと狙っている男」である日本をひたすらなじり、「謝れ!」「俺につくせ!」と詰め寄っているのに等しいのです。こういう人物が身近にいたとしても、同調どころか同情の念さえわかないというのが正直なところではないでしょうか(このように、韓国および韓国人の思考で理解しがたいものにぶつかったとき、とりあえず擬人化して自分の身近に置いてみるというイメージングをお勧めします)。
ところが、一般に日本人は韓国人に非難されると、その瞬間に思考停止に陥り、無条件で自分に非があるのだと思いこんでしまいます。いい加減、この奇妙な性癖は治すべきでしょう。集団結婚で韓国の農村に渡った日本人妻たちは、その最たるもので、「罪深きエバの国から来た嫁」として徹底的に婚家に尽くし労働力を提供させられているのが現状です。日本もそうですが、韓国の農村の嫁不足は深刻な状況で、農家の若者は結婚相談所に登録するようなつもりで統一教会に入信する者も多いと聞いています。信仰そのものよりも、集団結婚式で日本人の花嫁をあてがってもらえることの方が彼らには重要なのです。
一方、日本人妻たちは洗脳を受けた純粋まっすぐで世間知らずな女性が多く、総じて高学歴といわれています。それだけでも韓国人男性の征服欲は大いに刺激されるのかもしれません。
「日韓の歴史を克服し友好を推進する会」なる韓国在住の日本人女性グループが存在します。和服(浅草仲見世の土産物屋で売っているようなペラペラの)に身を包み、韓国の主要都市で定期的に、慰安婦など「日帝の蛮行」をお詫びする土下座パフォーマンスを披露することで有名で、日本のメディアでも何度か取り上げられました。この会の正体は集団結婚で韓国に渡った統一教会信者の日本妻たちの集まりだそうです。文鮮明の教えを信じ、法外な献金の果て、親兄弟とも半ば絶縁同然で海を渡り嫁いだ先で、彼女たちはこんなことまでさせられているのです。マインドコントロール下にある本人たちはどう思っているのかは知りませんが、私から見れば、これは立派な羞恥プレイに他なりません。
「サディスト」であることを自虐するマゾヒスト?
なぜ、彼女たちはあそこまでマゾヒスッティクになれるのでしょうか。いや、彼女たちばかりではありません。「韓国」という国名を聞くだけで、血管の中を流れる"贖罪”酵素が活発に活動し始めるという、パブロフの犬のような自称リベラル派の日本人が、それこそまだまだこの国には多数生息しています。
日本は韓国に対しては、基本的にマゾヒストと見ていいでしょう。この日本人の多くにこびりついた情緒をマゾヒスト・ジャパンと仮称します。
ところがです。韓国人が日本を非難するときに彼らの口から出る「日本人」像はマゾヒストどころか、極めてサディスティックな人格の持ち主のようです。
彼らがいう「日本人」は――「朝鮮の国母である王妃(閔妃)を殺し、遺体を多数で陵辱した後、火をつける」、「20万人もの無垢な乙女を誘拐し、強姦して軍隊の性奴隷にする」、「独立運動家を不等逮捕し取り調べという名目で、生爪をはぐ、逆さに吊るしてやかんで鼻の穴に塩水を流し込む、尻の皮が破れるまで棍棒を打ち続けるなどの熾烈な拷問を加える」ような人格です。サディスト以外の何ものでもありません。いや、もはやサディストという領域を超え、サイコ人格と呼んで差し支えないでしょう。このような、韓国人のフィルターを通して作られた悪魔のような「日本人」像をサディスト・ジャパンと仮称します。
忘れてはいけないのが、韓国が歴史問題等で日本を非難するためには「日本人」=サディストでなければならないということです。韓国が日本を非難すればするほど、「日本人」のサディズム性が拡大され、今では、ナンセンスなまでに誇張されたサディスト・ジャパン像が、彼らの口や筆によって世界に喧伝されています。
さらに面白いのは、日本で、彼らのこのサディスト・ジャパン像を肯定してやまない日本人がいるということです。その多くは、今いった、リベラルを自称するインテリたちであります。彼らの主張を聞けば、日本は朝鮮で「国母である王妃を殺し、遺体を強姦したあと火をつけ」、「20万人もの無垢な乙女を誘拐し、強姦して軍隊の性奴隷にし」等の酷いことをしたのだから、謝罪と賠償をしなければならないということらしいのです。この手の人たちは、「私はサディストです。ごめんなさい」と許しを乞うマゾヒズムという、なかなか倒錯した心理状況にあります。文字にすると、かなりシュールです。
"寝取られ"コンプレックスと慰安婦問題
私は、慰安婦問題は、すっきりした形で解決することはないと断言します。いわゆる慰安婦がキャンプ・フォロワー(追軍売春婦)でしかないという決定的証拠が出てきても、韓国はそれを認めることはないでしょうし、そんなものなかったかのように日本非難、謝罪と賠償の要求を続けるでしょう。彼らの中では、事実か否かの問題より、すでに感情の問題になってしまっているのです。韓国が認めない限り、世界中が日本の正論を受け入れたとしても、完全な解決とはなりません。この問題は永遠に蒸し返されることになると断言できます。
慰安婦がただのキャンプ・フォロワーであり、軍の強制連行など戦後作られた虚構であると認めてしまうことは、韓国にとっては肥大化させたいサディスト・ジャパン像の縮小になってしまいます。日本は人知を超えたサディスト、サディズムの巨人でなくては困るわけです。そのサディズムの巨人に、彼らの祖母、曾祖母がもてあそばれたという設定は手放せないのです。
慰安婦問題ほど、韓国人の"寝取られ"コンプレックスを刺激してやまないイシューはありません。ゆえに韓国がこの屈折した快感を放棄することはないと思うのです。
「日帝はわが民族の少女を20万人も性奴隷にした」という彼らの対日非難の言葉は、「われわれは、同民族の少女20万人を日本に寝取られた」と同時通訳可能です。「われわれは日本に同族少女を20万人誘拐されながら、暴動ひとつ起こすことなくただ見ていた」と意訳もできます。これだけみると、韓国人もかなりマゾヒスティックな性格の持ち主といえます。韓国が世界中に建てようと画策している慰安婦少女像、あれなども「韓国は日本に女を寝取られた」と書かれた記念碑を建てるようなものです。
少し、整理してみましょう。
韓国は歴史問題等でサディスティックに日本を非難することで同時にマゾヒスティックな感情も満足させている。両者は正比例の関係にあるといっていいと思います。日本に対してサディズムをむき出しにすればするほど、彼らのマゾヒズム的快感が増幅されるのです。
一方、日本は韓国の非難にマゾヒスティックに頭を垂れれば垂れるほど、サディストである自分を自覚していくというわけになります。
韓国は、通常はサディストの顔を前面に出していながら、その裏側にマゾヒストの資質を隠している「仮面性マゾのサディスト」だと思われます。日本は、そのほぼ逆で、通常はマゾヒストでサディストの資質が裏側に隠れている「仮面性サドのマゾヒスト」です。仮面マゾのサディストと仮面サドのマゾヒストのもたれ合いの関係が、すなわち今日の日韓関係です。このもたれ合いこそが歴史問題をこれほどややこくしくさせてきたといって過言ではありません。
言ってみれば、この関係、相手のSの部分には己のMの部分が、相手のMの部分には己のSの部分がぴたりとはまってしまうのですから、単なるS→Mよりも関係は抜き差しならぬものになってきます。私はこれをSM共依存の関係と呼びます。
変態の世界では、こういうパートナーを見つけてしまったマニアは、幸福といいましょうか不幸といいましょうか、あるいはこれこそ業(ごう)と諦めるか、それほどすさまじいまでの密な関係性が構築されていきます。会ってはいけない二人が出会ってしまった、とはこのことをいうのかもしれません。マジで遊びではすまなくなっていきます。
一般社会の尺度、価値観から見れば、まったく生産性のない関係にしか見えません。冒頭紹介した、「寿美子」さんとミスターKの関係はまさにこれです。ミスターKと「寿美子」さんは正式な婚姻関係はないようですが、ならばなおさら、K氏には、あそこまで「寿美子さんを"開発”してしまった責任があります。たとえ日陰の身(つまりお妾)に置くとしても、彼女の生涯を保証してあげるべきで、その甲斐性がない場合はこういう遊びにはゆめゆめ手を染めないことだ、と世の変態紳士に一言ご忠告申し上げます。
SM共依存の果ての「小口末吉の妻」事件
それでも「寿美子」さんとミスターKは、意識してプレイしているぶん、まだどこかブレーキは利いていますが、無意識のあまり知らず官能の泥沼に身を沈め、結果破滅に向かうこともあるのが、このSM共依存のおそろしいところです。
大正6年の「小口末吉の妻」事件がまさにそれでした。下谷区龍泉寺町の大工・小口末吉が内縁の妻である矢作ヨネを折檻死させた事件です。ヨネは多情で浮気症な女でした。浮気をして帰ってきては、怒る夫に侘びを入れ、思う存分責め苛んでくれと哀願するという強度のマゾヒストでもありました。浮気は折檻を引き出すための口実だったかもしれません。
一方の末吉は精神鑑定によれば、「性格は愚鈍で、判断力は普通人より乏しい」とのことで、ヨネに引きずられる形で、二人だけの愛欲地獄へとはまっていったというのが事の真相のようです。最初は殴る蹴るだけでしたが、折檻はすぐにエスカレートしていきました。ある日、ヨネは「浮気の出来ない体にして欲しい」と末吉に懇願します。背中に焼け火箸で「小口末吉の妻」と書いてくれというのです。ところが、末吉は文字を読み書きできません。そこでヨネが、「"末吉”は横棒6本引いて、縦棒4本…」というふうに指示しながら、焼け火箸をあてがわせます。その"作業"が行われている最中、ヨネは手ぬぐいを銜え、額に脂汗をにじませながらも、決してうめき声は上げなかったといいます。苦労して出来た刻印も、ヨネがいちいち鏡に映しては、形が悪い、この位置だと腕を下げると読めないから、今度は腕を下げたままの状態で入れて欲しい、と何度も夫にリテイクを要求するのだそうです。末吉もそれに応じてやります。
こうして、日々エスカレートする折檻プレイの果てに、ヨネは衰弱死してしまうのです。ヨネの遺体は、それはすさまじい状態だったといいます。臀部や大腿部に222ケ所、陰部にも左右3ケ所ずつの傷が並んでいました。背中と右腕の3ケ所に焼け火箸で「小口末吉妻 大正六年」と記され、胸は塩酸をかけられ焼け爛れていました。塩酸を手に入れるため、ヨネは化学(ばけがく)の学生とも密通をしていたといいます。左足の薬指、右足の中指と小指が欠損し、左手の薬指と小指も第二関節から切断されていました。指を切断した道具は末吉の商売道具のノミでした。
ヨネは真性のマゾヒストであり、同時に浮気をして亭主が苦しむのを楽しむサディストでもありました。末吉も、ヨネの巧みな誘導にのりながら、嫉妬(マゾヒズム)の炎をサディズムに変換させる術を覚えていきました。こうして二人、いつしか、出口のない世界に足を踏み入れて行ったのです。
個人の関係において、いかなる性癖が介在していても、それが社会秩序を毀損しない限り許されるべきことであると私は考えます。しかし、国家と国家の関係がこうであっては困ります。なぜなら、日本はわれわれの子孫のものでもあるからです。隣国との関係が精神的にアブノーマルな関係のまま、この国を子孫に引き渡すわけにはいかないと考えるからです。私は日本という国を、小口末吉にしたくありませんし、矢作ヨネにもしたくありません。韓国にも同様の思いを持っています。
では、この不健全で異常(アブノーマル)な関係から解放されるにはどうしたらいいのでしょう。なかなか難しい質問です。それほど、共依存というのは厄介なものなのです。しかし、ものごとは何でも最初の一歩があります。この問題もしかりです。
まず、変態であることを自覚することです。
よろしければご支援お願いいたします!今後の創作活動の励みになります。どうかよろしくお願い申し上げます。