第11話 秋山弘宣HOW TO本・SMAP・倉田保昭
「ロサンゼルス・クラブ」がオープンして間もない頃アキさんから「秋山弘宣著 JUNIOR SPORTS SERIES スケートボード」というHOW TO本で、デモンストレーション撮影に参加する機会が与えられた。ストリート・スケート編が、二瓶長克、川村諭史、江川芳文、加藤博己と俺の5名、フリースタイル編が、秋山勝利、石野勝、そして児玉君の3名、そしてバーティカル編が、アキさん、大瀧浩史、宮内武士、豊田貢の4名がこの撮影に参加した。
70年代の後半にアキさんが監修をしたHOW TO本を見て育った自分が10年後、そのアキさんの著すHOW TO本にこの錚々たるメンバーに交ざって参加出来た事は身に余る光栄であったし、自身のスケート・ライフにおける記念碑的な仕事となった。
良き兄貴分だったアキさんは、この後も仕事があればなにかと俺を起用してくれた。
オンエアを観なかったので記憶が定かでないのだが、日曜日の昼間やっていたジャニーズJr.だか、ブレイク以前のSMAPだかのTV番組の収録で、アキさんとヨッピーと3人で東京駅ウオール・バンクや日比谷公園を舞台にストリート・スケートの撮影をした事もあった。
当時まだ出始めだったCCDカメラを使用したシーンもあったので、かなり興味深い映像が撮れていたのではないかと思う。ビデオ録画していなかったのが悔やまれる。
この頃のスケート業界は光GENJIのブレイクも手伝ってか、ジャニーズとの絡みが多く、それが災いして後に西武園遊園地のランページでSMAPにスケートの特訓をしていた亘の「香取慎吾にエレベーター・ドロップを強要して泣かしちゃい」事件という忌まわしい悲劇へと発展した。伝説と敵を同時につくる実にあっぱれな男である。
実はこの頃、俺は茶沢通り沿いにある倉田プロモーションにも出入りしていて、かの和製ドラゴン、倉田保昭氏にスケートの指導をした事もあった。丁度香港でジャッキー・チェンが映画の中でローラースケートやスケートボードのアクションを取り入れ始めた頃だったので、常に香港をライバル視していた氏も「俺もスケボーやっとかないとな」と思ったに違いない。
おかげで俺もこの国際派アクションスターの「スケートの師匠」となる事が出来たのだった。
この倉田プロモーションの舞台公演で、劇中ジャンプ・ランプを飛ぶシーンの企画があったのだが、舞台がせまくて助走が足りずオクラ入りとなってしまった。
つづく