Spectal Library

第一弾。文:山口洋介「1985 駒沢オリンピック公園物語」日本における、80年代のBMXとSKATEBOROADカルチャーの物語

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第一弾。文:山口洋介「1985 駒沢オリンピック公園物語」日本における、80年代のBMXとSKATEBOROADカルチャーの物語

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  • 1985駒沢オリンピック公園物語

    日本における、80年代のBMXとSKATEBOARDカルチャーの物語

最近の記事

第1章最終話ロサンゼルス・クラブ最後の日

1988年10月11日「ロサンゼルス・クラブ三軒茶屋店」のランプ・アリーナがクローズする日がやってきた。 プール・ガーデン(ビリヤード)のように は収益をあげられないとの会社側の判断で、アキさんが設計し、そこにスケーター達が息吹を与え、多くの外国人プロが来日時に訪れては賑わい、そして俺達ローカルの思い出がたくさんつまったこのランプ・アリーナがたった1年と1日でその役目を終えようとしていた。 クローズの話が浮上した一ヶ月ほど前から、生谷さんが発起人となって約300名にものぼ

    • 第20話DOGTOWNアーロン・マレイ デビルマン西岡 HFロサンゼルスクラブへ

      「山口、今アーロン来てんで」ある晩、生谷さんから電話がかかって来た。「マジですか? 今からすぐ行きます。」と言って俺は8㎜ビデオカメラを持って急いでロサンゼルスクラブへと向った。 アーロン・マレイ と言えば、俺があのクリスチャン・ホソイ以上に憧れているドッグ・タウナーだった。 ロサンゼルスクラブでも彼のスタイリッシュなロールアウトレイバックを真似て、 自分なりにメイクしてきた。ロサンゼルスクラブに着くと俺はアーロンの滑りをビデオに収めていった。 上半身裸がアーロン そ

      • 第19話 ロサンゼルスクラブの日々 スポンサードラッシュ

        アメリカから帰ってしばらくすると、 俺達にはスポンサードラッシュが始まった。 ロサンゼルスクラブローカルズの論史と芳文、駒沢の潮と寿美男には「ライフザビーチ」が、亘には「ジャムス」が、そして俺には米ハンティントンビーチ発の「ローカルボーイズ」がスポンサーに決った。俺には 真剣にスケートボードと向き合ってから夢にまで見たスポンサードだった。本場アメリカのメーカーからのスポンサードとあって、プロとして認められた気がして心底 嬉しかった。 ロサンゼルスクラブ三軒茶屋店は 国道2

        • 第18話初めてのアメリカ 帰国サンディエゴSADLAND

          滞在日数分のマリファナを手に入れた俺達は サンディエゴのコンドミニアムで、潮のアイディアによる ビール缶パイプを自作した。350mlのビール缶の横腹の中央にマリファナの葉が落ちない程度の穴をネット状にアーミーナイフで開け、そこを中心にビール缶を折り曲げただけで完成で、飲み口に口をあててライターで火をつけて煙を吸い込む仕掛けになっていた。 夕食が済むとこのパイプで廻し吸いをした。 スズタカと亘が寝てしまったので、潮と俺は2人でミッションベイへドライブしに出掛けた。車窓を開けて

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        • 1985駒沢オリンピック公園物語
          21本

        記事

          第17話初めてのアメリカ3 VENICE DOGTOWN大瀧君と

          俺達4人にはアメリカでスケートスポットを巡る以外に、絶対にやろうと決めていた事があった。ひとつは銃を撃つ事、そしてマリファナを自由に吸いまくってやろうという事だった。 そこで、ヴェニスのドッグタウンスケーツで働いている大瀧君を頼ろうと、有名なスケートショップ「STREETS OF VENICE」へ行き、大瀧君の連絡先をもらった。潮が「MOVIN'ON」の撮影で一緒だった高橋ですけど、マリファナを分けて欲しい」との旨を大瀧君のアンサリングマシンに残して、サンディエゴに戻る道す

          第17話初めてのアメリカ3 VENICE DOGTOWN大瀧君と

          第16話 初めてのアメリカ2 シー・ワールド ミッション ビーチ「HAMEL'S」

          サンディエゴ「シー・ワールド」 サンディエゴには「シー・ワールド」があるので、以前から観たかったシャチの曲芸を観に行こうということになりまず、面倒だけどサンディエゴ空港に俺の荷物をピックアップしに行かなければならなかった。実際、そのまま出てきませんでしたなどと言われたらどうしようかと気が気ではなかった。 「シー・ワールド」のエントランスを入ると、すぐに一枚のポスターが俺達4人の目に留まった。それは「シティ・ストリート」というショウのポスターで、中央でヴィジョン・チームのフ

          第16話 初めてのアメリカ2 シー・ワールド ミッション ビーチ「HAMEL'S」

          第15話 初めてのアメリカ1 サンディエゴへ

          88 年の夏、俺は鈴木孝則、長島亘と共に、潮の案内で初めて アメリカ西海岸へと旅立った。 叔父に連れられ、大戦中に祖父が玉砕したグアム島へ慰霊に訪れた事はあったが、アメリカ本土へ渡るのは初めての事だった。 空席の関係上、スズタカと亘がエコノミークラス、潮と俺はビジネスクラスに陣取り、成田を飛び立った。途中ビジネスクラスの食事に大いに満足した潮と俺は、スズタカと亘の「エコノミーな機内食」でも見物に行くかと言って、わざわざ2人の席まで行き「おまえら何食ってんの?」と言っては、ほ

          第15話 初めてのアメリカ1 サンディエゴへ

          第14話大阪南港「アスコット・ボードパーク」へ

          アキさんと亘と3人で大阪南港の「アスコット・ボードパーク」へ遠征したときの事、アキさんがいすゞのイルムシャー・ターボを運転して用賀インターから東名高速にのったのが既に夜中で、助手席に陣取った俺は何故か煮干しを肴に水割りを呑んでいて、くだらない事を言ってはみんなで爆笑したりしていたのだが、さすがに明け方近くになると俺と亘がうつらうつらし始め、「お前ら、寝るんじゃねえよー」と言っていたアキさんもしだいに静かになっていった「アニマル・チン」 のランスばりの居眠り運転をしていたのかも

          第14話大阪南港「アスコット・ボードパーク」へ

          第13話駒沢公園・パイナップルべティーズ・BMX RIO

          ある晩、潮から電話がかかってきて「今日学校でケンカになって負けた」というので俺は驚いて「お前が?」とよくよく話を聞くと、その日が高校の初登校の日だったらしいのだが、いきなり不良グループに目をつけられて10人くらいに取り囲まれたらしい。 そのうちの2人に、2人がかりでやられたと悔しそうに言うので俺も「そらあ 面白くねえな、みんな集めてリベンジしに行く?」という話になったが、 次に潮に会った時にはもうそいつらとは仲良くなって、逆にそいつらのおかげで学校生活がたのしくてしょうがね

          第13話駒沢公園・パイナップルべティーズ・BMX RIO

          第12話ロサンゼルス・クラブ 長島亘と生谷和久

          ロサンゼルス・クラブ のオープンから間もなくすると、「トニー・ホ ーク」のボードを持ったやせっぽちでつり目の中学を出たての少年が通って来るようになった。 少年の名は長島亘。この日から「ロサンゼルス・クラブ 三軒茶屋店」がクローズするまでの一年間、ほとんど毎日ランプ・アリーナに通うようになる中で、自然と生谷さんとの間に師弟関係が生まれていった。 スケートボードを始めたばかりでまったくの白紙状態の亘に、生谷さんはハーフ・ボウルでフェイキーやターンなどの基礎から教えなければなら

          第12話ロサンゼルス・クラブ 長島亘と生谷和久

          第11話 秋山弘宣HOW TO本・SMAP・倉田保昭

          「ロサンゼルス・クラブ」がオープンして間もない頃アキさんから「秋山弘宣著 JUNIOR SPORTS SERIES スケートボード」というHOW TO本で、デモンストレーション撮影に参加する機会が与えられた。ストリート・スケート編が、二瓶長克、川村諭史、江川芳文、加藤博己と俺の5名、フリースタイル編が、秋山勝利、石野勝、そして児玉君の3名、そしてバーティカル編が、アキさん、大瀧浩史、宮内武士、豊田貢の4名がこの撮影に参加した。  70年代の後半にアキさんが監修をしたHOW

          第11話 秋山弘宣HOW TO本・SMAP・倉田保昭

          第10話ロサンゼルス・クラブ

          「マックスモーション」でアルバイトをするようになると、月に何度か顔を出すアキさんとも自然と接する機会が多くなった。そんなある日、アキさんから別冊「宝島ラジカル・スケート・ブック」の撮影でお声がかかり、バイトをぬけて上野公園の「円形植え込みバンク」周辺でストリート・スケートの撮影をした。思えばこれがアキさんとの初仕事となった。 「マックス・モーション」でアルバイトを始めて1年程が過ぎたある日、アキさんがひょっこり店にやって来て「山口、今度俺こういうパーク造る事になったんだけど

          第10話ロサンゼルス・クラブ

          第9話THE SEARCH FOR SKATEZOMBIE

          1987年には、ボーンズ・ブリゲード・ビデオショウの第3作目となるあの名作「THE SEARCH FOR ANIMALCHIN」が発売された。 駒沢 POSSEの中で誰よりも早くこのビデオを入手したのが潮だったので、皆潮の家に集まってこのパウエルの新作ビデオにくいいる ようにして見入った。 失踪したスケート界の聖人「ウォントン・アニマル・チン老」を探してブリゲードが旅をするという映画のようなストーリー仕立てになっていて、スケ ート・シーンもハワイの「WALLOWS」のディッ

          第9話THE SEARCH FOR SKATEZOMBIE

          第8話マックスモーションと秋山兄弟

          秋山弘宣 (アキ秋山) 、秋山勝利 (カツ秋山)。 日本のスケート界に携わる者で、この兄弟の名を知らぬ輩は間違いなくモグリである。兄、アキ秋山は70年代半ばから本場アメリカより招かれ、数々のコンテストで入賞を果たしてきた、記念すべき日本人プロスケートボーダー第1号であり、弟であるカツ秋山もまた日本スケートシーンの黎明期より、 幾多のコンテストで常に上位をその兄と争ってきた。そして フリースタイル競技での360度スピン38回の日本記録は40年を経ようかという現在もなお、更新され

          第8話マックスモーションと秋山兄弟

          第7話 ホコ天とオリジナルスケートウェア

          やがて俺は毎週日曜日に代々木公園の歩行者天国のジャンプランプにも通うよう になっていた。巷ではまだ DCブランドの服を着ているような奴らばかりだったし、アメカジというクソ恥ずかしい言葉すらまだなかった頃に、バンド・ブームにのってホコ天に出ているバンドの子達よりも奔放なスケート・ファッションに身を包んだストリート・スケーター達が毎週30人以上集まってジャンプ・ランプを飛んでいた。 この中に川村諭史、星野正純、江川芳文といった当時のトップ・ストリート・スケー ターもいて、皆今こ

          第7話 ホコ天とオリジナルスケートウェア

          第6話 ケンパーク・パイナップルベティーズ駒沢1986新春

          VISIONチーム、ケンパーク氏現る 86年が明けてすぐの1月4日、POSSEは新春早々駒沢公園に集結し、BMX &SKATESに興じていた。そこにBIGなお年玉がやって来た。本場USAのVISIONチーム・ライダー、ケンパーク氏が現れたのである。突然の出来事に公園は沸きかえった。ニューイヤーのバケーションでPOSSEの1人の家に滞在中だという氏はその温厚な人柄ゆえ、すぐに皆とうちとけ、一緒にジャンプ・ランプを飛んで遊び始めた。チャーリーと俺は自分達が作ったランプをアメリカ人

          第6話 ケンパーク・パイナップルベティーズ駒沢1986新春