第2話 駒沢公園の仲間たち
サニ・トラの荷台にジャンプ・ランプを積んでの駒沢通いが始まると、チャーリーと俺はこの駒沢公園の仲間達に囲まれてスケートするという環境を心底気に入ってしまった。すぐに仲良くなった高橋潮、粕谷守唯はもちろん、 和田幸司、池田二郎、田村健、 堀沢寿美男、 和田貞宣、 山川知則といった国内屈指の BMXライダー達が集い、 鈴木孝則、 鈴木光をはじめとする若くて才能あるストリート・スケーター達も集って来ていた。
俺達はお互いBMXとスケート・ボードの違いという垣根をまったく感じていなかった。それどころか、いつも誰かのボードを拝借してジャンプ・ランプを飛んでいるうちに面白くなった潮はキャバレロのボードを手に入れ、すぐにメソッド・エアーが出来るようになってしまったほどだった。
駒沢 POSSE はホーム・ガールズを入れると30人近くにもなったので、ほぼ全員が顔を揃えるとちょっとしたイベ ントのように盛り上がった。
俺たちがジャンプ・ランプを出している近くで、駒澤大学のサークルの連中がローラースケートで地べたに5人ほど並べて寝かせ、ジャンプして飛び越えて遊んでいると、いきなり幸司がなんのことわりもなくBMXで走っていってヤツらの上を飛び越えた。
俺達は「YEAH!」と叫んで拍手喝采したが、いかに自信があるとはいえ突然ことわりもなしに危険なマネをされたヤツらは唖然とし、ムッとしていたが、キングス・オブ・駒沢公園に対して文句を言ってくるようなヤツはいなかった。
「クリスチャン・ホソイ」と「和田幸司」
和田幸司は85年当時すでにGTのファクトリーパイロットで、国内トップ・プロだった。のち(88年)にチーム・ホソイが来日し、西武デパートのランページでデモを行った時に一緒にショーに参加し、バイオ・エアーをミスして転倒、脳震盪を起こした。ランページ内に横たわった幸司を気遣ったクリスチャン・ホソイは、ショーの進行をかえりみずに「危険だから動かすな」と忠告したにもかかわらず、スタッフ達が幸司の体をランページの外へと運び出したので、それに怒ったクリスチャンが一時ショーをボイコットしたという逸話が残っている。 同じエクストリーム・スポーツのプロとして、いつ自分が同じような扱いを受けるか判らないような場所でデモが出来るかという当然といえば当然のプロの姿勢だった。
いずれにしても駒沢公園でPOSSEに対して文句を言ってくるのは、公園管理人のオッサン達くらいのものだった「スケート・ボード禁止」の立て札のある場所で滑っていておっさんから注意され、追い出されそうになると、外国人のフリをしてデタラメな英語で、アンタの言っている意味が判らないといった素振りをし、これであきらめるだろうくらいに思っていると、ひるまず「ドント・ ローラー!」などと言ってくる始末だ。
一度など公園内の茂 みにジャンプ・ランプを隠しておいたのをリヤカーで持ち去りくさったので、潮と俺は2人で管理人どものいない時をねらって、「コイツがいけねーんだな」といって、そのリヤカーを報復措置として力業でバラバラに分解し、タイヤはリムごとグニャグニャにひん曲げてパンクさせ、フレームも溶接がとれて修復不可能になるまでペシャンコにし、おっぱずした板と一緒に管理人どもが掘ったゴミ焼却用の穴に捨ててやった。まさに「墓穴を掘りやがったな」といったところだ。
潮は破壊工作のあいだじゅう「タンターン、タカタカタン タンタカタカ」と「運動会のテーマ? 」を口ずさみながら実に楽しそうにしていた。潮は駒沢の派出所の前を通りかかる度に「タカハシィ、なんか悪さしてネーか?」と呼び止められるほど「極悪」だったので、駒沢公園でのアフターBMX&SK8は、公園通り沿いのモスバーガーに溜まって、皆で「高橋 潮の武勇伝」を聞くのが楽しみな日課のひとつとなった。
つづく