第7話 ホコ天とオリジナルスケートウェア
やがて俺は毎週日曜日に代々木公園の歩行者天国のジャンプランプにも通うよう になっていた。巷ではまだ DCブランドの服を着ているような奴らばかりだったし、アメカジというクソ恥ずかしい言葉すらまだなかった頃に、バンド・ブームにのってホコ天に出ているバンドの子達よりも奔放なスケート・ファッションに身を包んだストリート・スケーター達が毎週30人以上集まってジャンプ・ランプを飛んでいた。
この中に川村諭史、星野正純、江川芳文といった当時のトップ・ストリート・スケー ターもいて、皆今このホコ天で「自分達が一番カッコイイ事をやっている」と自覚していたので、大勢のギャラリーの前でスケート出来る事に優越感と快感をおぼえないはずがなかった。
駒沢公園と代々木公園のホコ天通いが始まると、俺は自身をもっとアピールすべく、独自のストリートウェアとも言える洋服作りを始めていた。スケートする時にアメリカのスケートブランドの Tシャツ以外着たい服が無かったからで、特にボトムスのパンツを中心に開襟シャツなどをオリジナルで作成した。
俺がデザイン画を書き、それを元に裁縫の出来る彼女が 形紙をおこして縫ってくれた。こだわりのパンツはストリート スケートする時にダサイと思っていたウェストポーチさえつけずに、手ぶらで出掛 られるよう工夫した。パンツのあらゆるポケットにマジックテー プでフタが出来るようにデザインして、どんなに激しく動いたり ストリートプラントで逆立ちしても、小銭にや持ち物が こぼれ落ちない仕掛けになっていた。このパンツはファッション に敏感な駒沢公園やホコ天のスケーター達にも既成品ではないのですぐに気付かれて「どこで売ってるの?」「作って 欲しい」などと評判になった。買えない物と判ると余計 に欲しくなるようだった。俺は彼女と服飾材料のユザワヤに生地を選びに行くのも楽しくなっていた。
しかもホコ天には、毎週同じように通ってくるファンの女のコ達までついてきていたので、日曜日の朝雨戸を開けた時に雨が降っていると、俺は頭をかきむしりながら呪いの言葉を叫ぶハメとなった。というわけで毎週日曜日はホコ天がひけた後にストーミーにランプを返しにいって表参道から半蔵門線で駒沢公園に直行した。自作の真っ赤な太めのパンツをはいてスケート持って電車に乗っていると、小さな 子が母親に「ママー、この人サーカスの人?」 と聞いていた事もあった。
そんなある日、ホコ天に「ZINKA」という顔などにぬる派手な化粧品のキャンペーンに来ていた女のコと仲良くなってそのまま駒沢公園に連れて行った。青年向け漫画雑誌のグラビアで見たことがある可愛いコだった。彼女がどこかへいっている時に俺の背後から突然和田(貞 則) がチョークスリーパーをかけてきて「ヨォスケェ、なんでいつも違う可愛いコ連れてんだよおお!」というの で「アタリメーだろ、俺をだれだと思ってんだよ」と思いきり大風を吹かすと「出たよ! これだよ、あー、ムカつくわ!」といってBMXでウイリーを始めた。俺はこの頃だいぶ図に乗っていたので、万事この調子だった。
つづく
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