第15話 初めてのアメリカ1 サンディエゴへ
88 年の夏、俺は鈴木孝則、長島亘と共に、潮の案内で初めて
アメリカ西海岸へと旅立った。
叔父に連れられ、大戦中に祖父が玉砕したグアム島へ慰霊に訪れた事はあったが、アメリカ本土へ渡るのは初めての事だった。 空席の関係上、スズタカと亘がエコノミークラス、潮と俺はビジネスクラスに陣取り、成田を飛び立った。途中ビジネスクラスの食事に大いに満足した潮と俺は、スズタカと亘の「エコノミーな機内食」でも見物に行くかと言って、わざわざ2人の席まで行き「おまえら何食ってんの?」と言っては、ほくそえんだりした。
小学3年の時、今はなき「川崎グランド」という映画館で「ジョーズ」を観てショックを受け、以来完全に映画の虜になった俺は、「がんばれ! ベアーズ」「ボーイズ・ボーイズ」といった映画を通じていつしかアメリカという国とその生活、文化に対して強い憧れを抱くようになっていった。 幼い頃から憧れつづけたアメリカに、 何年も後に出会った仲間達とスケートボード修行を目的としてあと数時間で到着するのだと思うと感慨深くさえ感じた。
そのためか、 着陸寸前に眼に飛び込んできたビルボード看板ひとつ、サンディエゴへのトランジットのために降りたロサンゼルス空港で見たあらゆるもののデザインひとつひとつに物凄く感動した。イミグレを通る時、アメリカ国籍の潮だけ「シチズン」のレーンに並び、俺達3人はやたらデカくてダサい、日本国と書かれた赤いパスポートを手に、「フォリナー」の レーンに並んだ。 潮の小さな紺色のパスポートが自分達のパスポートとは全く別物に見えた。
サンディエゴ空港に着くと、潮の知人である日系人一家が住むオールド・タウンへとすぐにでも向かいたかったのだが、 バゲッジ・クレイムで俺の荷物だけが出てこず、足止めをくった。空港係員の手違いで、荷物だけがサンフランシスコに行ってしまったことが判り、翌日ピックアップしに来なければならなくなってしまった。幸いスケートボードだけはサンフランシスコ送りにならなかったので、潮の知人のコンドミニアムに荷物を置き、挨拶もそこそこに、速攻で空港からのレンタカーの道すがら、車窓からみつけたいくつかのスポ ットに滑りに行った。
スケート・ビデオで観たのと同じように、アメリカには滑って面白そうなスポットが至る所にあるのだという事実にまずワクワクした。そんなスポットの一つに俺達が「ミニWALLOWS」と名付けた場所があった。
フリーウエイ8号線沿いのホテル・サークルという地区にある モーテルの脇に、小さいながらも山からの千上がったコンクリートの排水路があり、その左右の斜面をバックサイドとフロントサイドのターンを繰り返しながら下り降りるのが楽 しくて、随分と遊んだ。
夕方になると、 夜のお楽しみに酒を買おうと、近くにあったリカー&コンビニエンスの店に入った。俺はこういったセブン・イレブンのようなチェーン店ではないローカルなミニ・マートになぜかすごく魅力を感じ、小さな店内にひしめくこまごまとした品物をながめるだけで嬉しくなった。「がんばれ!ベアーズ特訓中」で N.Y.からやって来た不良少年のカーメン・ランザニが 「PLAYBOY」を買ってた店みたいだなと思った。思い思いにビールやビー フ・ジャーキー、サンフラワー・シード、ピクルスなどを手に取り、勿論「CHIC」や「HUSTLER」といったキワどいエロ本を買うのも忘れなかった。
コンドへ戻ると、ジャクージでビールを呑んでご満悦となった。夕食後俺達は、潮が日本から分解して持ち込んだ BMX を明日に備えて箱から出し、実に手際良く組み上げていく様子をビール片手にしげしげと見入った。
翌朝、俺はお気に入りとなったジャクージに入ろうと部屋を出ると、バルコニーに咲いた花にハミング・バードが飛んで来ているのを発見した。花の蜜を吸うハチドリと呼ばれるこの小さくて愛らしい鳥を見るのは初めての事ことだったので感動し、ジャクージに行くのも忘れて亘を呼ぶと「ああっ、ホントだ! カワイイッ!! 初めて見たよ山口君、マジ、スゲー可愛くない!?」と言って喜んでいた。
つづく
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