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共同防貧思想


<共同防貧思想>

「おおかみこどもの雨と雪」に出てくる田舎の村人たちには「共同防貧」の思想が根付いているのがわかる。田舎に移住してきた縁もゆかりもない人々に対して、ついついお世話を焼きたくなるのは、「困っている人は助けるのが当たり前」という共同防貧の思想が心身に染み付いているからである。

思想というものは一人の人間が作り出すものではなく、先人たちが少しずつ積み重ねたものだ。それも頭で考えるのではなく、身体を動かしながら考えてきたものだ。

人々の思想は文字を通して物語を通して、時空を超えてつながり、互いに影響を与えながら育まれていった。その思想は幾度も実践によって表現され、また変化と熟成を繰り返していった。文化を育むということは思想を育むということでもあり、新しい思想というのは古い思想の亡骸の層の上に育つ。夏野菜の亡骸の上に秋冬野菜が育つように。

江戸時代の人々は節約と勤勉さを美徳としていたが、それは必要以上持たないことを理想としていたのだ。そのため常に余裕が生まれる。農民が自身の人生から得た教訓や思想を出版することが増えたおかげで、日本全体に勤勉や節約の思想が広まったのだろう。

町屋による暮らしや地域住民が家族のように暮らすコミュニティでは「助け合い精神」というよりも「助けっぱなし・助けられっぱなし精神」というような関係性がある。

江戸時代にすでに協同組合の基礎が築かれていった。百姓中心に組織された頼母子講や無尽講といった組織共済組合と呼ぶことができる。また地割制度は災害において一部の百姓だけが困窮することがないように、村全体で防貧・救貧する目的で生まれた生産組合である。

洪水が起きた場合、村全体で一部だけ復旧活動をして、田畑を公平に分配し、そして収穫が多かったものは少なかったものへと分け与える。順次、少しずつ復旧活動をしていき、その都度公平に分配を繰り返す。そうして誰もが植えることなく災害から復興を果たすのである。干ばつの時の水の分配も同様だった。

石田梅岩は「士農工商の四民は職能として横に並んで、いずれが欠けても社会の必要が満たせない」という見方を説いた。また中江藤樹は「万民はことごとく天地の子なれば、われも人も人間のかたちあるほどのものはみな兄弟なり」と説いた。それが「お互い様」や「お陰様」という庶民の通俗的な倫理観が生まれたのだ。

お互い様もおかげさまも、謙虚さとなった。神の意識を感じていれば、傲慢になれない。自分がやったというのではなく、やらされているという感覚。それが謙虚である。

二宮尊徳は「推譲の道」として富裕な農民が財を使い尽くすのではなく、親戚や明友のために譲ること、郷里のために譲ることの意義を力説し、老人や幼児が多い家や病人や苦しい人がいる家に財貨を分け与える事を進めている。農民の生活が孤立的なものでは無く、相互扶助的で、繁栄が一村全体の繁栄でなければならないことと二宮尊徳自身が人生を通して学んだためだろう。彼は江戸幕府の依頼で全国の農村を訪れ、農業指導をしたことで有名だが、この思想もまた広めていったのだ。

そもそも村というコミュニティは現代のアパートの暮らしとは違い、生きる上で必要不可欠なものはすべて共有し、ともに管理・維持していた。村八分への恐れからコミュニティが成り立っていたのではなく、命に直接繋がった思想だったのである。

食糧の安定的な供給、洪水土砂崩れの災害防止、水資源涵養などの国土・環境の保全、美しい農村景観の提供、歴史と伝統に根ざした地域文化の継承など多岐にわたるが、その全てが生活に強く結びつく。

田畑や山や海はコモンズであり、「コモンズの悲劇」が示す通り、コモンズは自発的な共同管理で悲劇を回避してきた。地域の暮らしと食を守る根本は村そのものだったのだ。

その思想が現代の共助組織、市民組織、協同組合なのである。賀川豊彦は言う。「協同組合運動は、宇宙の神が我々に与へた良心運動を離れて成立するものではない。日本の危機は良心の危機である。」「どうしても精神更生を基礎としなければ、農村の更生はあり得ない」と。

残念ながら公的機関(政府など)と私的組織(企業など)はヒトと金を使って保身と利益を優先するが、ヒトの心をつかむことはできない。社会に公正な富の分配と持続的な資源・環境の管理を実現するのが、「共」(共助組織)の役割である。

共同体的な自主的ルールは、利益の適正な分配に加え、資源、環境、安全性、コミュニティなどの持続を低コストで達成できることが経済学者オストロムの論文で示されている。

人々の暮らしに欠かせないものが少しずつ共から切り離され、そのほとんどが私的組織がサービスとして市場に売り出すようになってしまった。また公的機関と深く結びつくことで、私たちが生きていくために必要なものの90%ほどがお金で買える時代である。

しかし、私たちが幸せに生きていくために必要なものの90%はお金では買えないのだ。その90%は共の中で育まれるものであり、満たされるものである。

協同組合、共助組織、市民運動組織、自治体が中心になって、各地の生産者、労働者、医療関係者、教育関係者、関連産業、消費者などが一体的に結集することで共同防貧思想は新しい思想へと生まれ変わることになるだろう。

賀川豊彦は言う。「協同組合は単なる機械的な組織ではなくして精神運動であるということをまず心にとめておかなくてはならない」


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