自然界には発酵も腐敗もない
<自然界には発酵も腐敗もない>
特に強く自然農に対してこだわりがなく、無農薬なら構わないと価値観なら、私は自家製堆肥を使った有機栽培のほうがオススメだ。とくに小さな畑しかないが自家消費分の野菜をしっかり確保したいなら特に。
というのも植物性堆肥を身の回りにあるものだけで作り出し、元肥や追肥として利用するくらいなら特に難しいことはない。堆肥も多すぎるとどうしても野菜が弱ってしまうから、その点だけ注意するようにしよう。
生ゴミコンポストや自家製の植物性堆肥をいざやってみようと思うと多くの人が失敗するだろう。これは単に人間が土を作れないように、本来は土が作られる過程とは完全に違う環境を作り出すからに他ならない。実際のところ、ビニールやプラスティックなどの人工物質以外なら土の中に入れてしまえば、数ヶ月ですべて土に還る。にも関わらず、土から切り離してしまうから腐敗して悪臭を放つのだ。
さて、ここであなたに質問がある。発酵と腐敗の科学的定義をそれぞれ答えてもらいたい。
おそらくほとんどの人が「人間にとって都合の良いものが発酵で、都合の悪いものが腐敗」といったような回答をするだろう。しかしこれは間違いである。というよりも一体どの学問がそんな答えをしているのか、教えてもらいたいくらい科学には存在しない回答である。
その回答に一番近いのが栄養学や食品学の定義である。それは「人間の栄養になるのが発酵、毒になるのが腐敗」である。何が違うのかというと食べることが前提となっていることだ。しかしコンポスト作りにおいて、人間が食べることを前提としていないのだから、発酵と腐敗という言葉を使うのはおかしいのである。
おそらくどこかの誰かがこの定義から発展させて作り出したのが前述の回答だろう。それが一人歩きしてしまったのだ。こういうとき言葉の曖昧さは人々を誤解させてしまう。なぜなら自然界には発酵も腐敗もないからである。
実はもう一つ発酵の定義がある。それが生物学における定義で「微生物の働きで有機物が分解され、特定の物質を生成する現象。狭義には無酸素状態で糖質が分解されること。生物体はこれにより必要なエネルギーを獲得する。」つまり私たちが発酵食品づくりやコンポストづくりにおいて発酵・腐敗と呼んでいるすべての現象が生物学では発酵と呼ばれているのである。
コンポストを作っている最中に腐敗臭が漂い、失敗したと思う人が多いが、それを土の中に埋めて数ヶ月もすればそれもまたすべて団粒構造の土となる。またビニール袋やバケツなどで製作した場合もしばらく置いておくと臭いが少しずつ失われていって、最終的には真っ黒な完熟堆肥となる。
つまり私たちが「腐敗だ、失敗だ」と叫んでいるのは微生物の連続的複合的な働きの一過程であり一部分のことである。すべては土に還るように、すべては必ず調和に向かう。
この話はコンポスト以外にも当てはまるだろう。私は自然農や自然栽培、有機栽培、慣行栽培とさまざまな農家の元で働き、研修を受け、さらに講座にも参加してきた。そのたびに大切にしてきたことはすぐには有効か無効かは決断せずに、三年以上かけて実践して観察した上で自分なりの理解することである。
さまざまな農法や栽培法には一つのパターンがある。
厳密な自然農を実践する人たちの農法は実際に十分な収穫を得るまでに時間がかかることが多い。逆に慣行栽培や有機栽培は3ヶ月後の収穫期にすでに十分に食物を得られる。
発酵も腐敗も人間側の一方的な見方の違いであり、人間の勝手な都合である。自然界では簡単に発酵だとか腐敗だとか切り離して起きているわけではない。だから人間は無理やり条件を整えて、職人技のように手を入れて一部の菌だけが働くようにして、発酵食品を作りあげる。
どんな発酵食品も条件が変われば腐敗するし、腐敗したものもいずれ人間にとって有効なものへと変わる。その過程を操ることができるのが職人たちだ。もしその自信がなければ自然界のスペシャリストたちに任せよう。そう土の中に埋めてしまうのだ。土中内の生き物たちが数億年間やってきたように、ただただ土に還し、次の生命の糧となる。
~堆肥~
英語では家畜糞やワラなどを混合して数ヶ月間堆積したものをmanure(マニュア)と呼び、それをさらに何度も撹拌したり共生通気したりして後期的な有機物分解を促進したものをcompost(コンポスト)と呼び分けている。
日本では一般的に堆肥というのは専門用語では遅効性肥料と呼ばれ、肥料のように植物が直接吸収ができないものを指す。人間で言うところの発酵食品のようなもので、土中内の微生物や昆虫類の餌となる。
まだ、団粒構造の土が出来上がっていない間は堆肥に頼るのもアリだ。いくつか注意する点がある。まず施肥量は表を参考にし、基本的に与えすぎないように注意したい。堆肥の種類やタイミング、量、回数を間違えると生育不良や、虫害、病気を呼び寄せてしまうからだ。有機栽培農家が施肥量に厳密にこだわるのはそのためだ。また施肥量も少しずつ減らしていくこと。
だから、あまり堆肥にこだわるのではなく緑肥や雑草の力を利用し、マメ科植物のコンパニオンプランツなどできるだけ生きた植物に土作りは任せた方がよい。また、土の肥沃度や土質に応じた作物の栽培を心がけることも無理がない。
~微生物資材~
日本の微生物資材には公定規格が存在しないため、何がどのくらい入っているのか、どれくらい生きているのかな生産者、販売元が分かっていないことが多い。そのため宣伝文句を信用しすぎないほうがいいだろう。
多数の土着菌との競合に打ち勝ち、原生動物からの捕食から逃れ、その土の土質、ph、温度などに対応し定住しなくてはいけない。そのため、多くの微生物資材に使用される微生物は定着することなく数ヶ月から1年程度で効果を失ってしまう。
微生物資材はあくまでも補助的なものとして使用することをオススメする。そうでなくては肥料のように定期的に購入するか製作して施肥し続けなくてはいけないからだ。
~好気性・嫌気性~
好気性発酵は堆肥が酸素を取り入れて、微生物の分解作用により急速に分解熱が生まれる。このとき、水も一緒に蒸発して発酵が行われる。そのため実際に製作している水蒸気が舞う様子がみれらるだろう。踏み込み温床などがその代表例である。
これらの分解は急速に行われ、そのスピードにあわせて栄養分も失われる可能性があるが、嫌気性発酵は無酸素状態のため急速な分解が行われず、栄養分が減りにくくゆるやかに進行していくという特徴がある。また嫌気性発酵は好気性発酵は酸素の利用がないため、熱発生量は低く、堆肥の水分蒸散は低くなる。
そのため好気性発酵堆肥はすぐに効くがすぐになくなり、嫌気性発酵堆肥はゆっくり効いてゆっくりなくなっていく。そのどちらにもメリットデメリットがあり、使い分けるのもいいだろう。
しかし大切なことは自然界ではそのどちらもが行われているということであり、団粒構造の土とはそのどちらもが混ざりあったものである。どちらが良いか悪いかで考えるのではなく、あくまでも自然に近い状態を心がけたほうが、人間の仕事は減るだろう。
~江戸時代の堆肥と肥料~
「農業自得」大蔵永常
干鰯、〆粕、米ぬか、灰、人糞尿、牛馬の厩肥、水肥、田畑や野山・海川からでる自給肥料など
「家業伝」河内
ニシン、ニシン粕、イワシ、イワシ粕、菜種粕、焼酎粕、醤油粕、灰、煤、石灰、塩、麦糠、人糞尿、牛の厩肥、堆肥、土肥、草肥など
とあるように身近にある有機物はすべて肥料(堆肥との区別はなかったようである)として利用している。多くの農書にはトイレ掃除についての項目があるのは糞尿を肥料として利用するためである。
多施肥や高養分の肥料の登場で深耕が必然となったようで、江戸時代の中期から備中鍬や鋤の普及しはじめ、4~5寸の深さを耕すことが一般的となった。そのおかげで根張りが良くなり、保水性が増大し、除草効果が生まれた多収量となった。
これは現代にも当てはまる肥料や堆肥の過剰施肥は表面だけだと問題が起きやすくなる。そのため深耕を必要とする田畑は多い。私がこれまで見てきた田畑においてよくするアドバイスが「一度耕したほうがいい」というものである。そこは必ずといっていいほど過去に化成肥料や動物性堆肥の大量施肥があったところである。