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真夏の暑さと台風対策のデザイン


<真夏の暑さと台風対策のデザイン>

日本が夏に自然農はもちろん、多くの食料生産できる要因は梅雨と夏の台風である。とくに35℃近くにもなる日本の夏は赤道付近の熱帯地域と変わらないほど暑く、植物にとっては厳しい気候だ。植物はその対策として地下深くから水を吸い上げ、蒸散することで葉焼けを防いでいる。そのため定期的な台風と夕立がなければ、自然農だとしても水やりが必要となるだろう。

基本的には梅雨の間の雨水を大地の中にしっかり蓄えておくことが重要だが、それでも限界がある。海から山頂まで地下水脈でつながっているように平野で雨が降らなくても、山のほうで雨が降っていれば案外大丈夫なことも多い。しかし、アスファルトやコンクリートで大地が覆われる割合が増えるに従って、大地に染み込む雨水自体が減っているのも事実だ。また、雨は大地の水が植物によって吸い上げられ、蒸散によって大気に放出され、それがまた雨水となるため、地下水が少なくなれば雨もまた少なくなる。そうなれば、植物自体が弱まり、森林の貯水機能が弱まるという悪循環が生まれてしまう。

江戸時代の百姓たちが、自然農の職人たちが冬になれば山仕事に出かけて、森林を整備していたのは山から畑までつながっていることに気がついていたからであり、山を整備することが畑を整備することにつながったからだ。

背山面水のデザインが風水的に良い配置を考えられたのは夏の暑さの時に北側にある森林が水を蓄え、南側に対して涼しい空気を作り出し、昼には南から湿った空気が流れ込み、夜には山から涼しい空気が流れ込むからだ。そのおかげで真夏でも湿り気と涼しさが持たされることで、ヒトも家畜も植物も乗り切ることができた。都会で起きているヒートアイランド現象は木を切りすぎたから起きたことであり、地球温暖化の手助けにしかならない。北側には夏の間に茂る広葉樹はもちろん常緑樹でも構わない。

田舎の古民家には決まって西もしくは南西側に大木が残されている。樹種はさまざまなだが決まって木材にすると粘り気のある折れにくい樹種である。この大木は真夏の西日を防ぐ役目として、大切に維持されてきた。真夏の昼間の暑さはヒトにも家畜にも植物にとっても厳しいものだが、それに追い打ちをかける西陽はもっと厳しい。とくに低い角度から大地を突き通すようにかかる太陽光は地表面を一気に乾燥させていく。ヒトにとって快適な空間を作り出す西側の大木は同様に家畜にも植物にも快適な空間をもたらす。夕涼みをするのはヒトだけではない。

本州の場合、夏の台風は南もしくは西側からやってくる。そのため、なうの台風が接近している時に吹く強風は決まった方向から来ることが多い。その強い風が吹く方に大木を茂らせている場合も多い。強風を和らげてくれれば、家を守ることにもなるし、植物が折れてしまうことも防いでくれる。しかし、大地の水はけが悪くなれば大木は折れやすくなってしまうので、やはり里山全体を整えることは重要なことだ。

夕方に打ち水をすると家周りの温度が下がるように、夕立は大地を潤し、夏の涼をもたらしてくれる。夕立は昼間に海から暖かく湿った空気が季節風によって運ばれ、日本列島の中央に位置する山間部にぶつかることで発生する気象現象だ。もちろん、植物が出した蒸散や田畑の水分もその雨水となる。夕立はときにゲリラ豪雨のように災害を起こすが、災害と騒いでいるのは決まってアスファルトを大地で覆って、排水路というコンクリートで覆われた都市部だ。森林が茂り、土が生きている田畑では夕立は災害ではなく恵みをもたらす。現代人が無価値だと思い込んでいる耕作放棄地やスギやヒノキの人口林は毎年大雨の災害から日本人を守り続けている。

日本の伝統的な石場建てや石垣積み、パーマカルチャーでよく利用されるスウェルなどは水の摂理に対して反発するのではなく、自然生態系のようにゆっくり静かに大地深くへと流し込むデザインを採用している。一度に大量に降り注ぐ雨水だとしてもゆっくり静かに動かすことで多くの生物が利用できるようになる。そして雨水によって大地が固くなりすぎることを防ぎ、地表面も土中内にも空気が通るようになる。

樹木や野菜には個々の寿命があるが、森林という生態系、里山という生態系には寿命はない。死ぬときは崩壊するときであり、空気と水がゆっくり静かに流れなくなったときだ。夏の暑さも台風も、恵みとなるか災害となるかは受け止める私たちのデザイン次第である。ゲーテは言う。「自然は間違わない。間違えるのはもっぱら我々人間だ。」


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