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日本人と鳥獣のコミュニケーション


<日本人と鳥獣のコミュニケーション>

江戸時代の農書を読んでいると昔から鳥獣の害は多かったことが分かる。古くからあることわざにはたくさん動物が出てくる。現代人にはピンとこないかもしれないが、日本人は鳥獣をよく観察して、よく知っていたことが分かる。それだけに鳥獣の世界と人間の世界が近く、鳥獣と人間の交流にも触れた民話や説話もたくさんある。漫画の起源とも言われる「鳥獣戯画」はその日本の精神性をよく示している名作である。

もともと日本人はヒトと動物たちの境界線は曖昧だ。野生動物が神、もしくは神の使いを務めるのも普通だ。境界線を引くような棲み分けはもともとない。日本の昔話には人間が獣や虫になったり、逆に獣や虫が人間になったりする。動物が人間に化けることもあるし、動物と結婚して子供を産む話もある。家畜は家畜小屋ではなく同じ屋根の下で暮らし、家族のように接した。鷹匠や鵜飼のように何世代にもわたって生業を築き、文化を築いてきた

西洋の昔話ではヒトと動物が親密に暮らし、結婚するような話はない。西洋文化では人間と動物をはっきり区別するし、動物のような人間はモンスター扱いされる。西洋の宗教観では、動物はヒトが利用するために神が作ったと考えていた。それが現代では同じ生き物として扱う風潮が強くなってきている。

現代では動物愛護に変わって「アニマルウェルフェア」の理念が広がりつつある。動物愛護と違う点は人間が動物を利用することや殺すことには否定的ではない。飼育中は快適に生きてもらい、愛を持って接する。最後は苦しまないように屠殺するべきという考え方。死ぬ寸前まで生き物としての尊厳を持って育てるという発想だ。

これは家畜だけではなく研究用や動物園などの展示用の動物にも適用されていて、さらに野生動物にも適用される。ただし、レジャーとしてスポーツハンティングを認める点は欧米の価値観が強い。オリンピックやパラリンピックで選手村で提供される食材にはこの基準が適用される。

日本仏教の不殺生戒とは「食べる理由以外に生命の命を立つことを禁じる」という意味だ。そのため、山間部や寒冷地では肉食は当たり前だった。禁忌の対象は4つ足の獣に限るため、魚や鳥は食べて良かった。そのため、ウサギを1羽2羽と数えたりイノシシを山鯨と呼ぶ。最近よく耳にするジビエとはフランス語で狩猟で得た野生鳥獣の食べられる肉を意味し、飼育した家畜の肉との対比語として使われ、工業的な畜産業への不安と嫌悪感から欧米で一気に広がった。

仏教の生き物を無差別に殺してはいけないという戒めにもとづく行事が放生会だ。生きている鳥や魚、虫などを山野や池に放ち、あらゆる生命を慈しむ。福岡県の筥崎宮は有名で、全国の八幡宮中心にその神事が受け継がれている。寺社の境内にフナやコイ、カメなどが暮らす放生池があるのはその名残りからである。

伝統文化を持つ狩猟民にとって狩猟はスポーツでもなければ労働でもない。狩猟を生業とする人々は狩猟そのものを愛しているし獲物に対しても敬意を持つ。神様からの贈り物であると考え、丁重に扱い、丁寧に解体し、余すところなく利用し、最後は感謝とともに大地に還す。その一連の過程は作業ではなく、儀式である。

そのため獲りすぎないし、持続的に狩猟ができるように意識し、無意識にそういう行動をとり、意識的にその教えを弟子に伝え継ぐ。だから、彼らにとってそもそも狩猟は駆除と同じでは決してない。

現代の日本では獣害を減らすために、駆除が徹底的に行われているが、狩猟民にとって命を雑に扱うことに抵抗を示す人が多いのも事実だ。現在、動物園に住む肉食獣のエサとして利用が始まっている。これによって肉食獣の健康が増すという報告もある。獣害は狩猟や駆除だけでは解決しにくいから、第三の道を探るのも現代では必要だろう。

都会人が農林業のことを知らずに「かわいいから殺すなんてありえない。かわいそうだ」と考えるのは世界共通で「バンビ症候群」と呼ぶ。欧米ではバンビは可愛らしい動物の代表格である。ペットや保護区の珍しい動物を殺して食べるのと、生業としての狩猟では同じ枠にはめて考えることも論じることもおかしいのだ。

日本の野生動物の生息数を長期スパンで見てみると、U字を描く。一番少ない時期は昭和初期で、どこの基準に見るかで増えているのか減っているのか見方が変わる。積極的に狩猟も駆除もしていた江戸時代から見れば、現代の生息数は異常ではなく通常かもしれない。意外かもしれないが、江戸時代では武士よりも農民の方が鉄砲を持っていた。その理由は獣害対策で、獣害によって年貢が収められなくなるのを防ぐためである。

明治に入って狩猟と駆除の規制が撤廃されたこと、公に肉食が奨励されたこと、戦争による毛皮の需要が高まったことで、野生動物は激減した。結果的にニホンオオカミとニホンカワウソが絶滅した。その空いた生息地域にミンクやヌートリアなどの外来種が進出した。

戦後森林の拡大造林、そして放置が野生動物の楽園を作っていった。
ハゲ山化した山々が緑を回復することで、抱え込む野生動物の量が増えた証で、森林保護が獣害を生んだと言ってもおかしくない。1960年代、里山の若者が都会に進出したおかげで、山林の開発と利用が減り、放置は進み、そのため緑の回復が早まったのだ。ヒトによる開発の自然破壊は一部で、放置された区域の方が圧倒的に多いのが事実だ。トキをはじめ、タンチョウヅルやヤンバルクイナも保護によって頭数は回復したが農業被害も出始めている。

欧米では森林開発や乱獲によって多くの種が絶滅した。夏場に雨が降らないため、もともと植生の回復が遅い。そのため数が激減すればほとんどの場合絶滅する。だから自然保護の思想が強いのだが、それは裏返せば行き過ぎた自然破壊の証であり、植生回復の貧弱さである。

しかし日本では植生の回復が早いため、数が激減して保護した時に、爆発的に増えることがある。だから田舎に住む日本人は自然保護の思想は弱い。自然保護の思想が強い都会人の感覚で西洋の価値観を押し付けると獣害しか生まなくなる。獣害は自然が豊かな証拠でもあり、森の神様からの贈り物を受け取り損なっている証しでもある。

現代の日本では、駆除を含む狩猟で仕留めた獲物のうち、食用になるの割合は1割以下なのが現状だ。その個体を食肉にするまでの過程は多くの関門があり、それがなかなか供給量に結びつかない理由。個人や家族内で消費する分なら、食品衛生法を無視しても構わないが、食品として出荷するためには厳しい衛生管理が求められる。狩猟の現場から遠く離れた都会でジビエが求められても、それに応えられないのが現実なのだ。ジビエが食べたければ、自分で仕留めるか田舎で暮らすかどちらかが賢い選択である。

野生動物の絶滅の原因は突き詰めていくと狩猟などの乱獲よりも人間の開発による生息地の減少や食料の減少につながるため、結局のところ一番の問題は人口問題である。

絶滅危惧種を復活させるポイントは生息地の保護と整備だが、そのためには人間の暮らしも見直す必要がある。彼らのエサとなる植物や昆虫、小動物をいかに守るか。渡りをする生物の場合は繁殖地と食料地、その中継地が連携して整備する必要がある。森林などがつながった緑の回廊も同じ考えから来ている。多くの野生動物が車に轢かれて死ぬように、ヒトとの接触をいかに減らすかがポイントだろう。

日本人の面白い動物(宗教)観の一つが、里山の獣たちが神様の使いをしているというところだ。それぞれの神社に祀られている神様は違うことも多神教の不思議なところだが、それぞれの神様のもとに仕えて、ヒトに神意を伝えるためにやってくるのも面白い。

それは目に見えない神様の意思を目に見える動物が代わりに伝えてくれると考えたからだ。恵みと災いどちらも神様のお力であるが、動物はヒトよりも敏感に感じ取ることができることを観察を通して学んでいた。だから、動物はヒトよりも神様に近い存在だと考え、大切に扱った。

しかもその獣たちのバリエーションが豊かで、身近な獣から珍しい獣まで幅広く、地域性が強いものもある。また獣の性質をよく捉えていて、その獣が目の前に現れること自体にも意味があると考えた。

それはときに短期的もしくは長期的な天候を占ったり、人生の指針に役立てることもあった。古代神話の中では国の重要な政策を決める役割を担ったり、あろうことか神様に恋愛のあれこれを教えることまでしている。日本神話には植物がたくさん出てくるが、獣たちの出演シーンもたくさんある。

その大切な知恵は日本神話の時代からずっと伝え、受け継がれてきた。神社に残された鎮守の森はその動物たちすべての棲家として大切に守られてきたのだ。巨木や貴重な植生が残っていても、そのに動物が住んでいなければ意味がなかった。

生物多様性の世界では大切なのは野生動物でもなく、植物でもなく、人類でもない。私たちがバランスをとって共生共存することで、その状態を維持することだ。里山で暮らしてきた日本人にとってトキやコウノトリなどは当たり前にいる動物で、保護とか駆除という観念はなかった。守る必要もなく守らなければならない理由もなかった。

中国の神話に出てくる伝説上の聖王・舜王はもともと農民だったが、人徳をしたう動物たちが集まり、農作業に協力したという伝説がある。日本の江戸時代の農書の中にも「素直な気持ちを持って自然と向き合えば、虫や獣といった動物たちが話しかけて手伝ってくれる」といったような教えが出てくる。昔話や民話の中では彼らの声を当たり前のように聴き、彼らの声に従って危機を脱したり、富を得る物語が多い。そして知恵や欲を働かせてしまうとバチが当たったり、元の質素な生活に戻るのはお決まりパターンだ。

家や田畑の近くに住み着き、勝手に役に立っている獣たちは意外と多い。彼らは里山全体を棲家とし、放置されている竹林や人工林はもちろんのこと、耕作放棄地や空き家周辺にも生息している。人間の都合で見ればそういったところは不要で無価値で、無駄なものに見えるからもしれないが、生物多様性の世界ではそんなものはない。そういったところを駐車場やメガソーラー基地に変えても経済的には豊かになれど、生物多様性は減るだけで、田畑では農薬が必要になるだけだ。

食物連鎖のピラミッド構造は決して優劣の上下関係ではない。「量と多様性」の関係性を示した図であり、高層の生物は低層の生物の繁栄に依存しきっている。食物連鎖とは食べる食べられることで多様性を維持している関係性であり、強弱の上下関係ではない。

低層が高層の生物よりも少なくなり、多様性が失われれば、逆三角形となりひっくり返るだろう。ピラミッドのバランスを取っているのはヒトではなく、すべての生物たちだ。そこに外来種も在来種もなければ、可愛いも不快もない。

すべての生き物が食べ食べられ、排泄し、死ぬことで栄養と種子を運び続ける。それはもちろん、我々ヒトも変わりない。多様性を維持することはヒトが楽に、豊かになることを可能にしてくれる。その証拠に縄文時代の日本人は狩猟採集と農耕をどちらも行なっていたが、1日に4時間しか働いていなかった。残りの時間はあの芸術的な土器を作っていたようだ。弥生時代になってあの装飾が簡素化したことを考えると、弥生人は忙しくなったようだ。

地球の生態系ネットワークではすべての生き物たちは何からの形でつながりあっている。その繋がりと循環の世界では生物多様性が調整され、維持されている。すべての生き物たちは生まれてきた意味があることに現代人は失ってから気づく。科学はいつも後追いでそれを解明する。科学がいつも結論づけるのは「伝統的な知恵は最先端かつ最高峰」ということだ。世界ではいま生物多様性を叫ぶ人が増えてきたが、必要なのは声ではなく、生物多様性で活かし活かされる生業である。「今(短期間)だけ、金だけ、自分(人類)だけ」の社会では生物多様性は育まれない。

パーマカルチャーでは家畜とも、里山の獣たちとも伝統的な暮らしや知恵のなかにあった美しい姿に戻そう・関係性を取り戻そうという運動である。温故知新はパーマカルチャーの活動にとって必要不可欠なものだ。工業的な畜産や駆除ありきの狩猟に対して反対活動をするよりも積極的に自身の暮らしのデザインに取り入れていく。「NOではなくYES」の活動はネガティブなエネルギーに頼らずポジティブなエネルギーに支えられた持続可能な活動である。


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