自然遷移の律動 極相林とヒト


<自然遷移の律動 極相林とヒト>
高校の生物でも学ぶこの自然遷移のパターンには実は続きがある。数百年経ってたどりついた極相林は、いったいその後どうなるだろうか?一般的に極相林は安定した植生で、他の樹種や草が侵入してくることはほとんどない。

実際に極相林を形成する樹種は非常に競争力に強く、養分や水分をほとんど独占的に吸収し、同じ樹種ばかりの森林となる。人の手が入っていない原生林と聞けば、勝手に豊かなイメージを抱くかもしれないが、実はたった数種類の植物だけが独占する舞台となり、虫も獣も応じて少ないのが事実だ。

そのせいで実は極相林の世界は「共存共貧の単一化」となってしまう。植生が単一化すれば、それをエサとする生物は限られてしまう。それは極相林を旅すればすぐに分かることで、極相林には生物多様性はない。

針葉樹が中心となる極相林では長い背丈ゆえに、雷が起きやすくなり、油脂を多く含む針葉樹林は大規模な山火事が起きてしまう。マツやスギの原生林が広がるアメリカ・シエラネバダ山脈の高山地帯をかつて1ヶ月かけて旅したことがある。

ここでは定期的に大規模な山火事が起こるという。実際に前年に山火事が起きた地帯を歩いたとき、真っ黒に焦げて折れた木々の隙間に黄色や白の鮮やかな花を咲かせた高山植物が大地を彩っていた。山火事によって新たな植生の芽生えのスイッチが入ることがわかってきた現在のアメリカでは人家に被害が及ばない範囲であれば、山火事の鎮火は行わないようになっている。

日本の鎮守の森として残されているような照葉樹林帯では、土中内の栄養分を太い幹や一年中青々と茂る葉に蓄えてしまうために、次第に養分が乏しくなり、大きくなりすぎた自身の身体を支えることが困難となり、倒れてしまう。降水量の多さと養分の多さからブナ林や照葉樹林に達するが、そのおかげで根は浅くなってしまう。そのため根ごと崩れる地すべりや土砂崩れが起きやすくなる。

水を幹内に多く含むブナは倒木後にすみやかに多様なキノコ類が繁殖し、土へと還り、新しい草木の養分となる。もちろん古来から日本人は極相林に足を運び恵みを頂いてきた。地すべりはブナなどの極相種を排除し、生まれたギャップでパイオニアプランツや草類が繁栄し、また自然遷移の法則にしたがって、少しずつ植生を変えていき、また極相林に戻る。

こうして、安定していた植生生態系は大きな変動を迫られる。何かしらの理由で極相林には部分的なないし、大規模な自然攪乱が起きるとそこにはパイオニアプランツを始め、いったいいつからどこからやってきたのか?と感動するくらい不思議なことに生物多様性が復活する。

大洪水や山火事、台風、地滑り、土砂崩れなどの大規模な撹乱の後にできたスペースに独占されていた光と水と養分が大地に還元される。すると先駆種パイオニアプランツが純林・単一種繁栄地帯を作り出す。それを餌とする昆虫や草食動物が反映し、そして肉食動物が繁栄する。その後、草木が茂り枯れて腐食を作り、腐食で草木が茂り枯れることを繰り返すと、新しい植物種が姿を現し始め、次第に多種多様な植物種が広がっていく。植生は一年草から多年草へ、低木や潅木、そして高木林に置き換わっていく。こうしてまた長い年月をかけて極相林へと移行し、生物多様性は減少していく。
また、現在でも気温が低い冷温帯や高地では植生が進まずに数少ない草木の種だけが反映しているが、これは気温の低さや撹乱の多さによってなかなか土壌が豊かにならないためで、条件さえ揃えば必ず植生は遷移していく。

つまり自然遷移の法則とは一方的に進む直線ではなく、静かに確かに繰り返される循環とサイクルの律動である。私たちヒトはその寿命の短さからその一過程を見ているだけに過ぎない。

地球生命体はこの律動の中で進化と適応を続けていったようだ。雷による森林火災や焼畑、河川の洪水・反乱、定住せずに移動し続ける狩猟採集民族による攪乱、倒木や伐採による定住地の整備、そして宇宙のビックバンも宇宙の律動の展開のひとつであるという説がある。

数十万年前にこの自然遷移の物語を早める生物が現れた。そう、それが私たちヒトである。いや正しくはいきなりヒトはその存在に変化した。それが火の使用である。ヒトは火を使って、原生林や極相林を焼き払い、その跡地に生息し始めたのだ。その後、石器や鉄器、放牧、爆弾によって自然撹乱と全く同じようなことをできるようになった。

自然遷移における極相では新しい生物の誕生の可能性は妨げられる。そこに人間(自然)撹乱によってそこにあった安定した環境は崩れるが、そこにはパイオニア植物をはじめとした有用植物が生えてくる。安定と撹乱の繰り返しが植物の進化を促しきた主要因であり、その進化の最先端こそが私たちが栽培する野菜と穀物であり、そのもっとも強敵な競合相手である雑草である。

人類による文明が大きく発展した古代文明が必ず大きな河川の近くにあったのは、河川による洪水と氾濫が自然撹乱を定期的に引き起こし、人類には好都合だったからである。生物多様性は攪乱の後に最も高く、生態系が成熟した時もっとも低い。

パーマカルチャーの法則では「自然遷移の加速」が有名だが、人間はあくまでも砂漠ではなく多様性のある環境が最適なフィールドであることを忘れてはいけない。だからこそ、自然農では「自然遷移のコントロール」を重要視しる。放牧、焼畑などの火の使用、草刈りや耕耘耕などは自然遷移への介入であり、自然撹乱となる。要は使い方次第なのだ。特に自然遷移がはやい日本では。

デビット・ホルムグレンが自然遷移の法則に気が付いていたようで、こう述べている。
「有機体レベルから見れば攪乱は災難に見えるが、生態系全体としては有益である。律動は限られた資源の効率的な利用に役に立ち、エネルギー獲得総量を最大化できる可能性がある。」

遷移のダイナミックなリズムの理解は、植物と大地とともに協働するうえで不可欠である。この理解があれば時間的変化に応じて栽培する植物を選べる。枯れたり虫にやられたり生育が悪い原因のひとつでもある。

近年、マツ枯れ病やナラ枯れ病などの原因が人間の手が入らなくなったために「山が荒れている」という訴えがある。それはおそらく間違いないだろう。しかし、自然遷移の法則ではそれは当たり前の現象に過ぎない。

人間が管理をすれば必ず植生は人間にとって都合の良い植物だけが選定されるために、多様性が乏しくなる。人間の手が入らなくなれば自然遷移が進み、人間にとって不都合な植物が生えてくるが、そこには間違いなく生物多様性が宿る。

自然遷移とは科学的に説明すれば、はじめはこうなる。「炭素貯蔵量の少ない植物から多い植物へ、腐食の割合が低い土から高い土へ、攪乱に対するレジリエンスが低いものから高いものへ、低い多様性から高い多様性へ、競争的な関係が支配する状態から協力的・共生的な関係へ。」そこから次第に極相へと向かうとその真逆のことが起きてしまうのである。そこで人間による撹乱つまり野良仕事が多様性も、人間の豊かさも育むのである。

多くの雑草は自然が遷移していくと自然と姿を消す。
昆虫や獣といった動物は遷移をある特定の方向に向ける、または向けさせる行動をとる。その役割は無視されるか誤解されている。

変化を想定し、自然と耕作地の生態系を観察し、さまざまな遷移のパターンに親しんでいれば、遷移の予測と応用が上手くなり、計画的に植えた植物からより良い成果が得られる。

目の前の環境を観察すれば、過去や未来の現象をある程度まで理解し、ダイナミックなプロセスが見えてくる。

気候や毎日の天気と同じように植物たちもまた大きな循環やプロセスの一部だということが分かれば、自然遷移の力をうまく利用できるようになる。観察と環境を読み解く技術は密接につながり、欠かせない技術であることがわかるだろう。

自然界では長いスパンで見れば、一つの種だけが繁栄することはあり得ない。それは言い方を変えれば、多種多様な種が繁栄する時空間では多種多様な豊かさがあり、恵みがあることを意味している。特に私たち最強の雑食動物であるヒトにとっては。

そして、ヒトに次ぐ雑食動物であるクマやサル、イノシシなど里山に現れて被害をもたらしている獣たちもまた、日本の山に多様性を必要としているのだ。もしかしたら彼らは里山の食料を食べて、タネを山に運んでいるのかもしれない。


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