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日本の伝統的な焼畑農業


<日本の伝統的な焼畑農業>

~宮崎 高千穂峡・椎葉山の山間地農林業複合システム~

この地域は農地に適した平地が極めて少ない山間地で、森林資源での用材生産やシイタケ栽培、湧き水を集めた棚田による稲作、草場を利用した肉用牛の畜産、斜面を利用したお茶栽培など多様な農業を組み合わせる試みが古くからずっと行われてきた。

スギやヒノキの針葉樹林、シイタケ栽培用のクヌギなどの二次林(落葉広葉樹林)、そして極相林である照葉樹林がパッチワーク状に細かく分かれて分布していて、適度な手が入ることでそれぞれの植生遷移が維持されている。そのエッジ(接地面)には多様な植物が自生し、昆虫や獣たちが住み着くことで生物多様性が豊かに維持されている。

山間地は水が溜まりやすい谷と、乾燥しやすい尾根が連なるため、棚田も簡単にはできない。そこでこの地域では約200年ほどかけて山奥の水源から山腹水路(用水路)を棚田まで敷いてきた。その総延長距離はなんと約500kmにも及ぶ。

そして、急な斜面に水と土を蓄えるために巧みな石垣が積まれ、雨が非常に多いこの地域にとって防災とともに豊かな水と食を生み出してきた。水路にはヤマメなどの川魚はもちろん、ホタルやカエル、サンショウウオなど生物多様性もまた生み出してきた。現在ではこの用水路を利用して小型水力発電が行われる地域もあり、地元でのエネルギーの獲得に貢献している。

棚田や段々畑などは法面(斜面)が多くなるため、土地のすべて田畑にすることは難しいが、この法面に生えてくる野草は土砂の流失を防ぐばかりか、肉用牛のエサとして使用する。

この地域に残る伝統的な農法といえば縄文時代に起源を持つ「焼畑農法」だ。

まず火入れの前年の秋にヤボ切りと呼ばれる伐採が行われ、薪や建築用材、シイタケ栽培の原木などに利用される。伐採される山地は日当たりが良い南向きの斜面で面積は50aから1ha程度の小規模。各家庭の生活に必要な分の食糧だけを生産するためだが、小規模のおかげで災害を防ぐことができる。

「このヤボに火を入れ申す ヘビ、ワクドウ(蛙)、虫けらども、早々に立ち退きたまえ 山の神様、火の神様、どうぞ火の余らぬよう また、焼き残りのないよう、おんまもりやってたもうりもうせ」という唱え言が火入れ前に、山の神へのお神酒とともに供えられる。

1年目の夏8月上旬にに火入れ(ヤボ焼き)が行われると、火がまだくすぶっているところにソバのタネをまく。ソバは長年森林が蓄えてきた養分を利用してよく育ち、他の草の成長を抑える力がある。

2年目の春には残った養分を利用してヒエやアワの栽培が行われる。イネ科植物の強い根によって土砂の流出を防ぎつつ、乾燥した土地で育つ穀物を栽培する。
まだ炭の匂いが残るため、野生の獣や昆虫たちは近寄らない。そのため無農薬でも、獣対策をしなくても栽培が可能だ。

3年目には蓄えてきた養分が失われているが、その地力を回復するマメ科のダイズやアズキの栽培が行われる。この時期になると自生している草木が勢いよく伸び始めるが、自家採種を繰り返してきた在来のマメはこういった環境でも問題なく育つことができる。

そして、4年目以降、20年~30年ほどかけて自然遷移の法則に沿って森林を回復していく。必要な木(クリや桜、カエデ、ミズナラなど)を植えることはあるが、基本的にはそこに生えている草木をそのまま生かす。

焼畑前の森林では50種ほどしかなかった植物が、焼畑を行ったああとには300種ほどの植物が生えてくる。自然火災の後に種子が目覚めて多様な草が生えてくる現象が知られているように、焼畑はそれを真似した農法である。

温暖で水の多いこの地域は自然遷移のスピードが早く、人間が植樹をしなくても立派な広葉樹林へと姿を変える。その間にも山菜やキノコなど採ることができるし、シカなど開けた林地を好む獣たちの狩猟の場となる。そのため、集落周辺の田畑に獣が降りてきて被害を被ることが少なくなる。

各集落に神事の舞踏を奉納する神楽が受け継がれている。神楽は日本神話と深く結びついていた信仰の場だけではなく、山間地の狩猟や農林業、暮らしと結びついた演目が多く、この地で生きる人々が大切にしてきた価値観が受け継がれている。1年で最も大きな「夜神楽」に向けて、舞の練習や舞台の準備、そして夜半から明け方まで舞続ける本番と集落の人々はともに過ごすことで絆を深めていく。

~阿蘇の草原の維持と持続的農業~
「人の手で草原を維持し、農業や畜産業に活用し続ける地域です」

阿蘇山は巨大な窪んだカルデラ地形を伴う大型の活火山で、火山灰の特性や地理的条件から土壌が発達しにくく植生遷移が潅木地で終わってしまう農業に適した環境ではない。そこで人々は野焼きと牛馬の放牧、そして採草のサイクルを生み出し、その余剰物を用いて田畑を豊かにし、作物を育ててきた。

火山灰や溶岩は空気を多く含む性質から水をたくさん吸収してくれる。冬には日本海側からの季節風が、夏には太平洋側からの季節風がともに湿った空気を運んで、阿蘇山にぶつかることで一年中雨雪を降らす。その大量の雨水を大地は吸収し、ゆっくり染み込み、そして豊富な湧き水となって溢れることで、カルデラの内側に国内でも稀なほど湧水群をあちこちに与えてくれる。乾燥しやすい尾根と水が溜まりやすい窪地がこの地域の特徴。

乾燥しやすい尾根や斜面の草地を毎年春に野焼きすることで、自然遷移を止めて常に牛馬が好むススキなどの草地を作り出す。野焼きを終えた後から秋の終わりまで牛馬を放牧し、秋の終わりに採草をして干し草を作り、冬の餌とする。この野焼き、放牧、採草のサイクルは約1万年前の縄文時代から行われていたと考えられている。

このサイクルによって生み出された牛馬の排泄物と採草の余剰物は田畑へと還元され、豊かな農産物と姿を変える。採草されたススキは建築材・屋根材や生活必需品にも姿を変えて、地域の暮らしを支えた。

野焼きには火が広がりすぎないようにする輪地切りという技術があり、すべての山地を野焼きするわけではなく、巧みな技術によって他の生物の住処を守りつつ、人間の住むエリアも守ってきた。夏前に燃やしておくことで、落雷による山火事を防ぐ意味合いもあった。野焼きされる地域は入会地として集落単位で共同管理されたことで草の利用や管理の取り決めがしやすく、効率性が高い集団作業などがあいまって、地域資源である草地の持続的な利用に大きく貢献してきた。

外輪山の内側の谷や平野では水が豊富で比較的土壌が形成されてきたエリアがあり、そこでは牛馬の排泄物や採草の余剰物、そして何代に続く土壌改良や圃場整備によって豊かな田畑へと変化していった。

九州の高原地帯の冷涼な気候では牛馬の排泄物が多様な植生と昆虫類のエサと住処を提供してくれる。最終氷期から生き残る高山植物や排泄物を餌とする昆虫など阿蘇地域にしか生息しない生物のホットスポットとなっている。

ここでは朝晩は冷え込みカビ菌や虫の活動を抑え、昼間は強い日差しが大地を温める。その気候のおかげでコメも野菜も美味しく健康的に育つ。また花卉栽培も盛んな地域。牛馬の排泄物はこういった寒い地域では有効な手段である。火山灰土を好むあかどいもや鶴の子イモ(ともにサトイモ)や温泉熱で栽培される黒菜など。

外輪山の切れ目がある西側では局地風「まつぼり風」をいなすために、土の中で育つからいも(さつまいも)栽培が盛んで、小豆と一緒に小麦の皮で包んだ「いきなり団子」が郷土のおやつとして急な来客にもてなされたという。またラッカセイも同様な理由で栽培され、落花生豆腐は祝い事に出される家庭料理の定番だった。「まつぼる」とは方言で「根こそぎ持っていく」といった意味。

土壌に恵まれた山間部ではその地形に応じて作られた棚田が残る。三日月型が整然と並ぶ菅山地区、さまざまな形が巧みに連なる水迫地区、遠くの景色とみごとに合わさった水湛地区、1300mもの手掘りした水路で名水山吹水源の水を利用する産山村など美しい景観を持つ棚田が多い。

火山灰土壌は酸性によりやすいが、毎年の野焼きと阿蘇山の度重なる噴火により持たされるアルカリ性の灰が土壌を中性に維持する役割を担っていることも忘れれはならない。

そのため、阿蘇地域の人々にとって阿蘇山は畏怖すべき存在であるとともに、信仰の対象となった。それが阿蘇神社を中心とする火山信仰であり、毎年3月中旬に開催される「火振り神事」と呼ばれる祭りである。農業神が姫神をめとる「御前迎え」の儀式で、縄の先の茅束に火をつけて振り回す様子は火の輪が幾重にも重なり合う幻想的で神秘的で、とても美しい。

この地域では山の神様と牛馬の神様が同一視されていて、山を守ることは牛馬を守ることでもあった。そのため山の管理を怠れば、災害をもたらすことになるため、山は必要以上に野焼きせずに、山林を残して管理していた。

また、地元の小学生の少女によって行われる火焚神事や大人と子供が参加する牛舞・虎舞と呼ばれる民俗芸能、各地域の集落で受け継がれる伝統神楽などそれぞれ農村の老若男女が受け継いできた多様な芸能と祭りが今も残る。また各地に馬頭観音の民間信仰があり、馬のみならずあらゆる畜生類を救う守護仏ともされ、六観音として畜生類を化益する観音である。ほかにも火雷天神では稲作にとっては重要な雷神を祀り、牛を神様の使いとする天神も同時に祀る。そのため集落や田んぼの中心に社が配置される景色が見られる。

谷や平野部、外輪山周辺、そして東西南北とそれぞれの微気候に応じてさまざまな野菜や穀物が生産されてきたことから、この地域で「あそんだご汁」と呼ばれる郷土料理には自家製野菜と団子、白味噌で味付けという共通点はあるが、中身の食材と団子の原材料はその地域によって多様なスタイルが見られる。たご(団子)の原料は小麦粉、米粉、そば粉、きび粉など。四季に応じて旬の野菜や山菜が加わる。トウキビは水が少ない乾燥した高原地帯を好む作物で、牛馬の飼料用としても人々の主食としてもよく栽培され、トウキビが軒先で吊るされて干されている景色もまたこの地域特有だ。


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