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原則に縛られるな!原則を生み出せ!
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<原則に縛られるな!原則を生み出せ!>
パーマカルチャーにも、自然農にも原則がある。
しかし、その原則に縛られていないだろうか?
いや、ときにその原則を言い訳にしてはいないだろうか?
川口由一さんは「無農薬・無肥料・不除草・不耕起」の4つの原則を持って「自然農」を編み出した。(本によっては不除草と不耕起を合わせている)
しかし、それは川口さんにとっての「自然農」であることを忘れてはいけない。
パーマカルチャーを体系づけたビル・モリソンとデービットはそれぞれ10の原則を唱えた。
以下の通り。
~ビル・モリソンの原則~
・多様性
・エッジ効果
・多機能性
・重要機能のバックアップ
・小規模集約システム
・効率的なエネルギープラン
・生物資源の活用
・つながりの良い配置
・エネルギー循環
・自然遷移の加速
~デービットの原則~
・観察と相互作用
・エネルギーの獲得と貯蔵
・収穫
・自律とフィードバックの活用
・再生可能な資源とサービスの活用と尊重
・ゴミ、無駄を出さない
・全体から詳細をデザイン
・分離より統合
・ゆっくり小さな解決の活用
・多様性の活用と尊重
・接点の活用と辺境の尊重
・変化に対して創造的な活用と対応
これからも分かるように、同じ「パーマカルチャー」の言葉を掲げても原則はそれぞれ違う。
それはある意味表現の違いとも言えるのだが、人によって原則は変わると言っても差し支えがないと思う。
万国共通に適用できるのは間違いないが、それぞれの環境や状況、文化によって具体的な言葉は変わるはずだ。
解釈の違い、考え方の違い、価値観の違い、哲学の違いなど言い方は様々あると思うが、私は道のりの違いだと思う。
彼ら先人たちの最大の功労は「目指すべき目的地の方向を定め、名付けた(ネーミング)」ことだろう。
私たちはその方向性とネーミングでインスピレーションと刺激を受けて、いまそれぞれの想う道を歩き出しているのだ。
彼らは地図の上に宝のありかを示してくれた。
私たちはいま、まだ誰も見たことがない未開の荒野をその地図を頼りにルートを探しているようなものだ。
もちろん、そこに本当に宝があるは限らないのだが、私たちは間違いなく無限大の希望を胸にその地図を握りしめている。
彼ら先人たちはその目的地へ行く旅をした。そして、後に続く仲間たちに旅のヒントを与えてくれた。それが原則である。
たとえすべての原則に忠実に従って完璧に真似することができても、
きっとそれを先人たちが見たらそれぞれこう言うだろう。
「それは自然農じゃない」「それはパーマカルチャーじゃない」と。
人それぞれに個性があるように、土地それぞれにも個性がある。
そのため「自然農」にも多様性があり、「パーマカルチャー」にも多様性があるはずだ。
あなたにとって「自然」とはどういうものなのか?
あなたにとって「永続可能な暮らし」とはどういうものなのか?
それを突き詰めていく先にあなただけの「原則」が湧き上がってくるに違いない。
まるでそれは山々に降り注いだ雨水が染み込み、それぞれの地下水脈となって流れ、どこか湧き上がってくる泉のように。
このように原則とは決して誰かから与えられて、あなたを縛るものではない。
あなたの内から溢れてくる志のようなものなのだ。
自然農も、パーマカルチャーもゴール(結果)ではなく道(過程)そのものである。
無農薬無肥料で野菜が作れるようになって自然農が完成するわけでもないし、
完全な自給自足の暮らしができるようになってパーマカルチャーと呼ぶわけではない。
日本人の多くは勘違いしているが、「ルールは破るためにある」というのはそういうことなのだ。
原則やルールから外れると言うことは「問題」なのではなく、新しいデザイン(道)の可能性を示すものであり、新しい原則が生まれる源泉なのだ。
歩く道はみな、それぞれだ。歩くスピードもさまざまだ。
だから、出会いも別れも再会もある。
道が違うからと言って、私たちは皆同じ目的地に向かう仲間だ。
先人たちが生み出してきた原則に縛られるな!
その原則はあくまでもヒントであることを忘れずに、自分の声を聴こう。問いかけよう。原則のリストは誰のものであれ、有効だとしても見直しは必要不可欠だ。
あなたにとって「自然」とはなんだろうか?その道に自然農が続いている。
あなたにとって「永続可能な暮らし」とはなんだろうか?その道にパーマカルチャーが広がっている。
あらゆる宗教には巡礼の文化がある。
古来から人間はこの地上においても、地上を超えた世界においても見える道と見えない道を描いてきた。天にも道があり、道理があり、人が逆らえない普遍的な法則があるというのは東洋思想一般に広く見られるものである。また、キリスト教でも自らをキリスト教と呼ばず「道(ホドス)」あるいは「この旅」と呼んだ。
人生を旅に置き換える表現もまた世界中にある。
旅において道は無くてはならないものだが、どの道を歩むかよりもどう歩むかが大事なことは旅人なら誰もが知っていることだろう。
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