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適正技術と在来化


<適正技術と在来化>

これは決して生物に限った話ではない。知識や技術、思想はもちろんのこと、ものづくりや芸術、経済や政治を含めた文化も常に在来と外来が入り混じる雑種である。縄文文化は大陸からの渡来人の文化を取り込んで弥生文化となり、その後大陸から新しい文化が来るたびに取り込んで、現代の文化までずっと雑種として続いている。それは日本のみならず世界中の文化が定着するものもあればしないものを取捨選択して、現在まで続いている。雑草化とはいわば土着化である。多くの野菜や園芸種のようにヒトがタネを蒔き続けなけれな生息できないものも、決して除け者ではなく、コミュニティの一部である。そうでなければ、もともと外来種のコメはいつまでも日本人にとって除け者・異文化であり続けることになる。

江戸時代の農書では在地農法に他の地域からの外来農法が伝わり、農家はそれを試したり、改良して、新たな農法を編み出していく様子が描かれている。外来文化がやってくるとはじめて在地(在来)文化を意識する。在地農法にこだわる農家と外来農法にすぐに食いつく農家、それを少し遠目に観察して取り入れたり、取り入れなかったりする農家が登場し、交流している様子が見て取れる。つまり「在地」に「外来」がやってきて融合されると「在来化(雑種化、土着化)」していくのだ。農家にとって在来か外来かの分類よりも、生産量を増して家を経営することのほうが重要なことだから、変化を恐れない農家の方がほとんどだった。ヒトからヒトへ受け継いでいくものもまた長いスパンで見れば、変化を免れないのだろう。

遺伝、人種、文化、学問において異質なものとの混合から生まれる雑種の力強さは人類が1万年の歴史で示してきた。世界中から持ち込まれた異なる遺伝的資質や習慣、考え方などが混ぜ合わされ、多文化的な社会になる。雑種混合文化の力強さを作り出し、外来種・土着種の植物や動物が混在する生態系が地域経済の資源になるだろう。

ゴミというものはない。まだ、使い道が見つかっていないだけだ。いや、彼らの価値に気がついていないだけだ。変えるものは彼らではなく、自分たちである。

適正技術とは「技術が適用される現場の社会的・経済的・文化的条件に適し、多くの人々が参加しやすく、環境の保全や修復にも適した技術」と紹介される。

主に発展途上国や第三世界の国々の開発の際に使用される言葉だ。有名な例で言えば、最先端の科学技術を用いた地下水を汲み上げる井戸システムを導入したが、故障した時に現地の人が直せずに、修理に必要な道具や部品が手に入らないことで結局、昔ながらの井戸が現地では引き続き使用されるとったケースだ。

また三匹の子豚もわかりやすい例だろう。
三匹の子豚では藁などの草で作った子豚、木で作った子豚、レンガで作った子豚が登場し、生き残るのはひとつひとつ丁寧にレンガを積んだ子豚だ。この話は丁寧さや時間をかけることが大切だという教えだが、適正技術のあり方で言えば、その土地に応じて答えは変わることになる。

熱帯地域では木は腐りやすく分解されやすく、レンガ造りは暑さと湿気で息苦しくなるので、通気性がよく何度も簡単に作り直せる草で作った家が適正技術となる。サイクロンや洪水など自然災害が多く、また竹など成長の早い再生可能資源が豊富なため竹や草を使って短いスパンで作り直すほうが風土に適応している。

また、日本では熱帯地域にはあまりない針葉樹が豊富なため、腐りにくい家を建てることができ、湿気対策で風がよく通るようにできた家が適正技術となる。レンガ造りの家では地震が来た時に耐えられない。豊富な竹や藁などの草も使うがそれがメインになることはないのは自然災害対策だろう。

ヨーロッパでは乾燥した気候からレンガの製作も容易で、風通しが悪くなっても大丈夫だ。また地震が少ない地域でもあるため耐震性を考慮しなくて良い。森林資源が希少な地域でもあるため、木よりも土を使うことが適応している。

日本でレンガ造りの家やログハウス(北米や北欧の適正技術)、アースバックハウス(古代中東建築と現代の建築術を組み合わせた土をメインの建材にする建築法)を取り入れる際には湿気対策が重要となる。これは環境に優しい建築基準にエアコンの効率性を高めるために密閉性を高めてしまったせいで、一年中エアコンをつけていないと快適な環境にならない現代建築物にも同様となる。

このように適正技術とはその土地の気候や植生を十分に考える必要がある。適正技術の考え方は貧しい地域に限らず、私たちが住む地域レベルでも個人のフィールド内でも適応できる。というよりも適応することがパーマカルチャーデザインであり、豊かな暮らしには必要不可欠な考えである。

合鴨農法は中国チベット系民族のトン族が1000年以上前から稲作とともに続けてきた農法だが、日本でも平安時代に入ってきたことが確認されている。しかし現在までに残っておらず、再開した人がいても数が少ないのは適正技術とはなりづらかったからである。

日本で合鴨農法をする場合のデメリットは日本の里山には天敵となるキツネなど肉食動物が多く、水田内の害虫と雑草だけではエサが足りなく、特に冬には成鳥を養うことが難しい。そして成鳥だとイネも食べてしまうため、毎年ヒナから育成しなくてはならないため、コストと手間がかかる。そのコストと手間から合鴨農法は現代でも実践する人はあまり多くない。

江戸時代の農書を読み解いていると、百姓たちは自分たちの長年の経験だけに頼るのではなく、広く外来の農法と接触しようとしているのがわかる。外来の改良法と在来の昔ながらの在地農法を掛け合わせて、自分たちの地域に適合した在来(土着)農法を練り上げていく。都合の良いものならなんでも取り入れるのが在来農法である。自然界の生物と同様に、その地域の風土に適したものが自ずと生き残る。在来化という土着化の過程ですべてが受け入れられたわけではない。そこには何かしらの取捨選択があった。

昔からのやり方や他人から聞いたやり方に固執し、農法を改良しようとする意欲すらなく、凶作にあっても時運や天災として諦めてしまう様子を諌める農書も多い。

中村直三が「お天道さまの御蔭とお百姓衆の御働きが野の末、山の奥まで賑わいをうむ」と言うように、その土地に生きる生き物たちとヒトと風土の結びつきがあってこそ在来(土着)化は起きる。この融合こそ、まさに私たちが生まれ持っている生知だろう。

江戸時代の農書の多くには心のあり方や精神性の成長を促すものも多い。毎日の仕事と暮らしぶりを気が楽なやり方に変えようじゃないか、と腕の改良だけでなく心の改造をも目指していた。

長年、農をやっているとそのやり方が染み付いて癖となり、なかなか新しい方法に取り組もうとしなくなってしまう。農家であることの自負が逆に足かせになってしまう。大切なことはその土地に応じた技術を工夫していくこと。師匠の秘伝を教えて完璧にコピーするだけでは、技術の取得はできない。自ら試みて修行することが大切である。守破離は常に外来の到来によって突き進んでいく。日本文化の歴史とは弥生文化を生み出してからずっと外からやってくる文化を日本オリジナルに土着化・適正化していった歴史である。

農に限らずあらゆるものづくりの分野では環境や特性を受け入れて諦める心と、工夫して適応させていく諦めない心が必要だ。まるで自分自身の身体や才能のように。私たちは自分の身体を選んで生まれてきたわけでもないし、才能も選んでいない。たしかに努力してきたものもあるが、それにも限界がある。

自然界にある個性とは自分ではどうしようもないもの。だから認めるしかない。認めて生かすしかない。他人の個性だってそうだ。認めて受け入れるしかない。個性は伸ばすとか伸ばさないとかそういうものじゃなくて組み合わせるものだ。

他と比べて「足りない足りない」と嘆き、どこかの真似をするのではなく、その土地にあるもの、自分にあるものを見つけ、それを磨く。外から何かを持ってくるのではなく、内にあるものを磨く。

在地での農法が外来の情報や知識に刺激を受けて相対化され在来として理解され出し、在地農法の中に都合のいいものが取捨選択されながら、新たな在来農法が形成されていく循環的な構造がある。適正技術もまた循環の中で姿形を変えていく。温故知新とはまさにその過程を意味している。昔ながらのものが常に最適なわけでもなく、最新のものが常に最適なものでもない。「最適さ」は変わり続ける。

適正技術とはその地域に住む人々とその生態系にとって無理のない、無駄のない技術だ。新しい技術や家畜類を取り入れたあと、本当に精神的に身体的に楽になっているか、豊かになっているのかを観察することが重要になる。美しいデザインとは誰もが無理をしていないデザインである。


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