阪神・淡路大震災では公衆電話が多くの人々を救った!
大地震2~3日後、やっと甲南大学構内に避難している伯母の公衆電話からの連絡がつながって、東京から救出に向かった。
一般車は京都東ICで降ろされたが、従姉たちと連携して、伯母と病弱の伯父に奈良県内で落ち合い、静岡県の親戚の家まで搬送することが出来た。
現在はWifi環境やIPS電話など、当時と比しネットワーク環境はドラスチックに高度化してはいるものの、災害時には何が起きるかわからない。
出来ることなら、費用対効果を考慮することよりも人命救助の一環として残して欲しいものである。