木鶏(もっけい)
1939年、大相撲史上の最高の横綱といわれた双葉山は69連勝を達成し、70連勝に挑んだ。
しかしこのとき、双葉山は負けてしまい、連勝は69で終わった。
日本国民は双葉山の敗戦に落胆したが、双葉山は知人に「いまだ木鶏に及ばず」と電報を打った。
このことから、スポーツの世界などでは「いまだ木鶏に及ばず」「いまだ木鶏たりえず」という言葉が使われる。
「木鶏(もっけい)=木彫りの鶏」は『列子』『荘子』に出てくる故事から来ている。
どんなことに対しても、木彫りの鶏のようにこころもからだも動かず、ふだんどおりになにも外部に動かされずにいること。
勝負の世界では、この境地に達した者がもっとも強い。
双葉山は大横綱といわれたが、しかしまだ自分は木鶏のような境地には達していない、ということを電報で述べた。
研究者はみな、木鶏のようである必要がある。
以下は、この木鶏の内容。
紀悄子という人が闘鶏の好きな王(学者によって説もあるが、一般には周の宣王ということになっている)のために軍鶏(しゃも)を養って調教訓練していた。
そして十日ほど経った頃、王が「もうよいか」と尋ねた。
ところが、紀悄子は「いや、まだいけません、空威張りして〝俺が〟というところがあります」と答えた。
さらに十日経って、また聞いた。
「未だだめです。相手の姿を見たり声を聞いたりすると昂奮するところがあります」
また十日経って聞いた。
「未だいけません。相手を見ると睨みつけて、圧倒しようとするところがあります」
こうしてさらに十日経って、また聞いた。
そうすると初めて「まあ、どうにかよろしいでしょう。他の鶏の声がしても少しも平生と変わるところがありません。その姿はまるで木彫の鶏のようです。
全く徳が充実しました。もうどんな鶏を連れてきても、これに応戦するものがなく、姿をみただけで逃げてしまうでしょう」と言った。
追記:
今年の1月に研究室全体に送られてきた先生からのメール。
それを一部改めた。
私はこの1年「木鶏」たりえたという自信がない。
しかしながら、
1年悩み、苦しむことができた。
これは大きな前進であったと感じている。
空っぽのバケツほど大きな音を立てる。
そういう人が多い時代となった。
だが、
雲は風に身を任せ、樹木はありのままの姿で生えている。
傘を持たずに旅に出れば大雨にやられて四苦八苦することもある。
かといって、引き返す訳にも行かないので歩くか走るほかない。
打たれる雨も意外と心地良かったりする。
そうやって人はこの世界を楽しみながら生きていく。
(2022.12.14)