現代日本を物語る「ウマ娘」(サピエンスと馬の関係を探る旅)
①地球が誕生する
②「ヒト科」と「ウマ科」が生まれる(後者の方が「科」としては先輩だったが、逆転した)
③「認知革命」によって動物であるホモ・サピエンスが動物世界から離れる(やがてヒト科の頂点に立つ)。
④「馬」、「動物」と名付ける(言語化、表象化、ラベリング、観念の枠組み、想像性から「神」をも創造)。
⑤サピエンス(元動物)が動物を「雇用、仕分け」始める。
⑥馬によって世界史(文明)のパワーバランスに変化が起きる。
「はやさ」によって時間が加速され、世界が「短縮」される(空間、地理)。
⑦馬が「宗教や軍事、競馬、権力行使」に利用され、「サピエンス対サピエンス」による闘争、人馬による競争、遊戯(スポーツ、ギャンブル、ゲーム)が起きる。
⑧雇用者サピエンスによって「名馬」の観念は絶えず変動する(これは現在まで続いている)。
⑨やがて軍馬が「機械」に代替され、最終的にビジネス、レジャーとして「競馬」が残る。「名馬」=「はやい」(距離別)が確定的なものとなる。
⑩近現代日本において世界一の大衆競馬文化が発展し、新しい「名馬」=「可愛い」(ウマ娘)が誕生する(2015年前後)。
(彼女たちは死を超越し、人工知能=AIを携えている。仮想空間によって現実の名馬=「はやさ」序列化を「かわいさ」序列化で覆せる存在である。)
世界の文明は馬を最も効率良く扱った民族や国家が牛耳ってきた(長い期間)。
ステップ・ユーラシア地方。中東(アラブ)。オーストリア・ハンガリーやプロイセンなど(日本は古墳時代、アメリカは大航海時代に馬が持ち込まれた。馬が居なかった。英国も長らく馬種改良の後進国であった)。
現在は主として『文明の生態史観』(梅棹による第一地域)、自由主義的民主主義国家群、イギリスや日本の旧植民地国(香港は一時期日本の統治下)が世界の馬(サラブレッド種)ビジネスを席捲している。
近代競馬は、
およそ
王侯貴族、ジェントルマン:レジャーとしてのイギリス
それを大衆娯楽化させたアメリカ(大陸内の闘争に馬が与えた影響は大きい)
戦前軍馬育成にも力を注いだフランス(農業大国、「自由主義」のルーツ、ナポレオン、凱旋門、市民革命)、イタリア、ドイツ、日本など(現在のドイツはギャンブル大国ではない、イタリアも地位が低下している)
立憲君主として英国と日本は似ていると言われるが、それは外面的かつ形式的なものである。
思想的な中身(内容)はまったく事情が異なる。
ヨーロッパの国王、女王の競馬と東アジアの帝(天皇)=東アジアにおける儒教文化圏(「華夷秩序」の観念)が強く残る地域、の競馬は違う。近代化とは「帝」の欧化でもあったが・・・
例えば、現人神時代の競馬は世界初(右翼の台頭と国家神道の急進化で起きた。ちなみに明治期以来の「帝王学」は、混淆宗教による教育だった。明治天皇の家庭教師である元田は儒学者であった。)
たいしてヨーロッパ社会である英国は宗教的権威と政治権力を分離していた。また、軍事より「レジャー」という全く正反対のシステムを採用。
ヨーロッパにおける他国はややイギリス式から分離したが(軍事と財源)、ジェントルマン精神に基づく「ギャンブル」である英国競馬の影響を強く受けている。フランスは中間地点である。
宗教的権威と政治権力を結合させた「ギャンブルを振興するミカド(帝)」(軍事、収益)がいた日本。それは第二次世界大戦後に解体された。
近代日本における欧米列強(英国中心)伝来の「近代競馬」は東アジアから伝わった「古式競馬」(中国から伝来した宗教的儀式、広義の競馬)との混淆や、維新後における為政者の動向(各省庁の攻防)を経て、「大衆競馬」の道へと進んだ(我が国では運営に民衆が必要だったので、為政者が大衆を利用したとみるか。大衆失くして競馬は成り立たず、大衆を重視するか。現実は両方であったと思われる。しかし、現代でも為政者競馬観=前者がやや根強い)。
戦後初期は競馬のレゾンデートル(軍馬育成)がなくなり、競馬のギャンブルイメージが先行した。それに伴い天皇のイメージも著しく悪化した(松下圭一が『大衆天皇制論』を唱えたとしても)。
これが、やがてスポーツイメージに変容する(日本中央競馬会=NCK、JRAによる諸改革)。
80年代以降、日本人と馬、競馬の観念は劇的に変わった(柔らかくなる)。
あのハイセイコーブームの時でさえ、競馬のイメージは悪かったのにもかかわらず。
だからこそブームになったともいえる(寺山修司のエッセイを読むと競馬のギャンブルイメージが分かる)。
80年代半ばに馬のイメージが明らかに変わった。レース構造、表彰制度も分かりやすくなった(それはメディアに描かれる馬の姿にも反映された)。
日本の「大衆競馬」が世界と完全に切り離された(もともと変わっていたが・・・)。
世界で最も馬と親しい「国民国家」が誕生した。
アイドルホース、ぬいぐるみ、グッズ、ゲーム、漫画、コミック、馬の擬人化、そしてウマ娘・・・
近年は「名馬」の概念が「可愛い」時代に移行してしまった。
(「ウマ娘」は年を取らない、性格も固定化されている。
可愛らしい見た目とは異なり、強いメンタリティを持つ。
大雨・大雪の中を時速60-70キロの速さで走る超人集団である。)
ウマ娘の登場はサピエンスと馬、競馬の観念を変えてしまった。
幼児から大人、性別問わず人気。
今まさに展開されている「仮想空間」の現実化、社会化。
また、この「二次元の馬たち」は地球の果て(裏側)まで周り、他国籍企業による新しい馬、競馬による観念<帝国>を作り上げている。
毎日走り続けている(24時間365日)。
例)ヨーロッパの人が「ウマ娘」を好きになり、日本語の勉強を始める。日本社会に骨を埋めたい。なんてことが普通に起こっている。韓国や台湾にサイゲームスの支社があり、巨大広告により現地空間を占領している。
現実世界の競馬構造は国際競馬統括機関連盟(IFHA)、アジア競馬連盟(ARF)、日本の日本中央競馬会(JRA)などがある。
こちらにも、厳然なパワーバランスが生じている(近代競馬の歴史、サラブレッド・ビジネス)。
それとは別にSNSや仮想空間で新しい<いのち>として別の競馬が誕生(転生、蘇り)したのだ。
過去の亡くなった「名馬」の再生は、私たちの<いのち>に対する考え方にも影響を与える。
オルフェーヴル(コントレイル、アーモンドアイ)より有名な「ウマ娘」(亡き名馬)が何頭居ることか。
そういう時代が少なくともこれから10年以上は続く(パズドラ、モンストの例)
昨今、二次元美少女(アイドル)の世界では「ウマ娘」がトップに君臨している(人間側のアイドルに対して。声優アイドルVS王道アイドルの様相だ)。
さて、近代において天皇と馬は同時に可視化された(近代化、権力、戦争)。
これは現代にも通じる文化である。
だから天皇をみると馬がわかるし、馬をみると天皇がわかる。
日本社会がわかる。
今は厳格な社会なのか、緩やかな社会なのか。
ウマ娘は大日本帝国が掲げた「理想の共同体」を実現している。
「天皇の競走馬」(この言葉は近代日本と競馬の関係を踏まえて私が定義した言葉であるが、現在でも通じる言葉である)として。
天皇賞がある限り、日本の競走馬は天皇の「御分身」である。
だとしたら、ゲーム内の「ウマ娘」もまた天皇の「御分身」なのである。
天皇賞は「天皇花瓶競走」(1880年)→「帝室御賞典」(1905年)→「天皇賞」(GHQ統治下は「平和賞」)と名を変えた。
創成期は欧米列強(ジェントルマン)との社交(不平等条約改正)、次は馬事思想の普及(日本人の馬観念の改善、親しみやすく)、馬匹改良及増殖(軍馬育成)、その後は主催者財源だけでなく国家財源(国庫納付金、政府納付金)まで含むという「ツール」(事業)に変貌した。
(日本人は馬が嫌いだったなんて現代日本人にとっては意外に思えるかもしれない。)
現在の日本競馬(公営競技、公営賭博、公営ギャンブル)は主催者財源と国庫納付金のために運営されている。
この財源という思想、考え方が「競馬=ギャンブル=悪」を「競馬法=特別法=必要悪」として認めさせた(戦前は軍事と共に)。
だから日本競馬会、国営競馬、JRAは「国家警察型官僚機構」のような組織となり、「天下り」も常態化した。
一方で戦後に至っても、宮内省(庁)と天皇(賞)問題は競馬のギャンブルイメージに左右され続けた。軍馬育成がなくなっても「必要悪(財源)」だから仕方ない。現在も天皇賞が残る所以である。
(ゲーム『ウマ娘』の中で「テンノウ賞」は記号=競馬を振興する帝にあたる。ゲームに接した私たち日本人=特に若い世代は、これによって「現代日本(象徴天皇制)」を体感している。)
「戦前の大元帥と軍馬」(かたい)と「戦後の天皇と競馬」、「現在の悠仁親王とウマ娘」(やわらかい)の<距離>は、
戦前における日本(国體、絶対性)と現代日本(スターの聖家族からゴシップ化現象)との距離を物語る(イコールである)。
現在の皇室はあまりに軽い。
だが、競馬の方はもっと軽くなった。
そして今や(JRAの諸改革によって)「ギャンブル」である競馬にも天皇は簡単に足を運べるほどになった(2005年の天覧競馬は106年振り、2012年の天覧競馬は「近代競馬150周年記念事業」と抱き合わせ。いずれも「伝統馬事芸能」とセットで行われた)。
主催者がギャンブルを振興しながら天皇(帝)を用いて競馬のギャンブルイメージを軽減するという手段は、戦前の軍馬育成時代にも使われた伝統手法である(効果は薄いのだけれども・・・)。
(「公営競技」=「特別法」=「財源(必要悪)」のレゾンデートルは国民の目には映らない、戦前もほとんど似たようなものであった)。
これは象徴天皇の可視化にとって、よくもわるくもあるが、
ほとんど好意的に受け止められている。私は良いという立場を取る。
とはいえ、もしパチンコ店に天皇が足を運んだら大きな問題となるであろう。
2012年に東日本大震災復興で行われた天皇賞(近代競馬150周年記念事業)。
同時期の被災地ではギャンブル(パチンコ)依存症が問題化していた。
JRAが経営改革(事業)で競馬のギャンブルイメージを軽減する。
すると競馬のイメージも変わる。
競馬のイメージが変わると天皇のイメージにも変化が起こる(起こった)。
これが1980年代以降の出来事であった。
70年代には競馬存続(廃止)論争、天皇賞廃止論争が起きた。
それは忘れられている。
現在は主催者のみならず天皇イメージの可視化に「ウマ娘」が加わった。
2023年。
天皇は厳格さを失った一方で、ゲーム「ウマ娘」による新しい<帝国>事業にも関わっている。
「可愛い(馬の観念)」を通して・・・
この点について、近代の課題であった欧米列強の打破、日本の大衆競馬文化による「夷を以て夷を制す」計画は成功したかのように思える(愛馬精神、競馬売上、文化帝国主義において)。
私はこれから起きる新しい馬、競馬社会の動向を温かく見守りたい。
日本はサブカルチャー(クールジャパン、大衆娯楽、ゲーム=仮想空間)にしか未来がないと決めたのだから(決めつつあるのだから)。
内容がとても膨らんだが、
日本の馬(「ウマ娘」)と天皇(「テンノウ賞」)が世界(特に東アジア)を席捲していることは間違いない。
サピエンス(日本人)が作り上げた「観念」や「人工知能(AI)」によって。
(2023.01.17)