第39話:グレード制は当たり前ではなかった
増え続けたG1競走(2022年の例、太字は創設年・可視化)
2月20日
フェブラリーステークス
1997年
東京
ダート 1,600m
9,400万円
3月27日
高松宮記念
1996年
中京
芝 1,200m
9,500万円
4月3日
大阪杯
2017年
阪神
芝 2,000m
20,000万円
4月10日
桜花賞
1939年
阪神
芝 1,600m
8,900万円
4月16日
中山グランドジャンプ
1999年
中山
障害 4,250m
6,500万円
4月17日
皐月賞
1939年
中山
芝 2,000m
9,700万円
5月1日
天皇賞(春)
1938年
阪神
芝 3,200m
13,200万円
5月 8日
NHKマイルカップ
1996年
東京
芝 1,600m
9,200万円
5月15日
ヴィクトリアマイル
2006年
東京
芝 1,600m
9,000万円
5月22日
優駿牝馬[オークス]
1938年
東京
芝 2,400m
9,700万円
5月29日
東京優駿[日本ダービー]
1932年
東京
芝 2,400m
20,000万円
6月 5日
安田記念
1984年
東京
芝 1,600m
10,000万円
6月26日
宝塚記念
1960年
阪神
芝 2,200m
13,200万円
10月2日
スプリンターズステークス
1990年
中山
芝 1,200m
9,500万円
10月16日
秋華賞
1996年
阪神
芝 2,000m
8,900万円
10月23日
菊花賞
1938年
阪神
芝 3,000m
11,200万円
10月30日
天皇賞(秋)
1937年
東京
芝 2,000m
13,200万円
11月13日
エリザベス女王杯
1984年
阪神
芝 2,200m
9,000万円
11月20日
マイルチャンピオンシップ
1984年
阪神
芝 1,600m
10,000万円
11月27日
ジャパンカップ
1981年
東京
芝 2,400m
25,000万円
12月 4日
チャンピオンズカップ(第14回までジャパンカップダート)
2000年
中京
ダート 1,800m
13,000万円
12月 11日
阪神ジュベナイルフィリーズ
1984年
阪神
芝 1,600m
6,500万円
12月18日
朝日杯フューチュリティステークス
1984年
阪神
芝 1,600m
7,000万円
12月24日
中山大障害
1999年
中山
障害 4,100m
6,500万円
12月25日
有馬記念
1956年
中山
芝 2,500m
20,000万円
12月28日
ホープフルステークス
2017年
中山
芝 2,000m
7,000万円
表ではないので横長になった(笑)
ほとんど最近になってからGⅠ級が誕生したことになる。
ゲーム「ウマ娘」でもこれは一致している。
(障害レースはない・・・走った記憶がない・・・)
1984年にグレード制が導入されて、今まで曖昧にされてきたレースの構造体系が可視化された。
五大競走、八大競走時代が古くなった(以前に述べた)
また、JRA賞や顕彰馬(「競馬の殿堂」)もこの変化に関わっている。
「馬」、「名馬」の可視化
これは80年代におけるテレビCMも同様であった。
(競馬のギャンブル色を薄める)
「ウマ娘」はミスターシービー(1983年の三冠馬)から実装
それ以前はマルゼンスキーくらいしかいないのは
このような事情(背景)があった。
これはJRA(このときはNCK)=浜口さんが行った諸改革の1つである。
もし、グレード制が導入されていなかったら・・・
今頃は・・・笑
想像したくない
戦前は五大クラシックの成立と天皇賞(春と秋の2回)でやってきた特殊法人・日本競馬会・・・・レース体系の制度化(第一次改革といえた)
戦後は五大競走と八大競走、宝塚記念でやってきた特殊法人・日本中央競馬会(NCK)・・・エリザベス女王杯(前身ビクトリアカップ)はあったのだけれども権威は正直言って微妙・・・
牝馬三冠競走として「ビクトリアカップ」は位置づけられていたというが
桜花賞からのローテをみると惜しかった馬は多数居た・・・笑
(1970、1976、1984と変化の忙しいレースなり・・・)
ちなみに日本初の牝馬三冠はメジロラモーヌで顕彰馬にもなっている。
1986年に達成なので「グレード制」が導入されてから。
綺麗に収まったという印象を強く受ける。
なお、牝馬三冠は秋華賞が出来てからはエリザベス女王杯から入れ替わった。
現在では(むしろ、2頭目から)権威が少し薄れている(「スティルインラブ」、「アパパネ」は顕彰馬になっていない)。
ジェンティルドンナ、アーモンドアイは牡馬に混じっても強かったので顕彰馬になると思うのだが、今年の選考でアーモンドアイは落選した(笑)
これでは日本初の無敗での「牝馬三冠」を達成したデアリングタクトは落選濃厚かもしれない・・・
五大クラシックの概念からエリザベス女王杯(ビクトリアカップ)や秋華賞は桜花賞やオークス(優駿牝馬)より一段劣ってしまう。
(おそらく)1983年まではその名残も強くあったと思われる。
今も若干あると私は思う。
さて、「ウマ娘」の話に戻ろう。
「ウマ娘」は間違いなくグレード制導入の影響を強く受けている。
昔のようなレース体系だと「名馬」(ウマ娘のモデル)が多数生まれなかった(可能性が高い、そして分かりづらい、短・中距離の名馬が微妙)。
「GⅠ」という言葉にはそれだけの価値がある。
私はそう感じるのだ。
追記)
牝馬三冠は桜花賞、オークス、ビクトリアカップで確実に権威があったかどうかは疑わしい。
出来たばかりの頃の出走ローテを見ても・・・
おそらくグレード制前に「桜花賞、オークス、エリザベス女王杯」を勝った馬は顕彰馬になっていたに違いない(1976-1983の間)。
だが、
グレード制後の方が非常にしっくり来るし、メジロラモーヌにとっても幸運な出来事であった。
追記2)
今回はこれが趣旨ではなく、レースの権威、名馬(づくり)の可視化について考えた。
1984年以降に徐々に拓(開)けてきたということが言いたかった。
これは競馬の隆盛と「ウマ娘」にとって必須条件であったと思われる。
(2022.12.27)
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