無我を忘れてしまった「個」に気づく
周りから言われた通りに「こと」を成していれば良いのにも関わらず、
自分で動くとロクでもないことになるのは、昔から変わらない。
周囲の先生方曰く、学術出版をやるか、やらないか、
が大事であり、その間に何か行動(「こと」)を起こした者はほとんど大成しない。
研究室の先輩、後輩たちは我慢してきた。
これは京都大学の先生方の主張(意見)でもあった。
「根拠のない自信を持て!」(それまでは)
ウマ娘本や自費出版について考えていたが、
これは自分(我、私)を持ってしまったゆえの「過ち」であり、
純粋に内容(原稿)を分析・精査した場合
たいそう立派なものでもない。
私は「執筆講座」を受ける為に大学に入学した訳ではないので、
また愚かな行為(「過ち」)をした。
(出版関係の方にもたいへん申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ウマ娘」では企画出版はおろか自費出版でさえも無理だ。
今はまったくそのレベルにない。)
「ウマ娘」は学術の中に入れてこそ価値があり、
結局のところ、世の中は「難しいこと」(今やっていること)
を求めているのだとしたら「ありのまま」(の姿)で十分である。
という訳で、「ウマ娘」単独はやめて研究は大事という話。
(ユーチューブでラジオ番組みたいにやる程度なら面白いかも、笑)
今も無償で論文を学術出版させて頂いている身。
今後の生き方について少し考え直さなければならない。
師曰く、そのまま普通にやっていれば、周りがそれ(そのレベル)に相応した態度(反響)を取って下さるから急ぐ必要はない。
学術を少しずつ進めて欲しい(きちんとやってほしい)。
私の場合は設定難易度を高くしてしまった(汗)
でも、体調を崩すくらいならやめてもいいとも言われている。
とりあえず分かったこと。
今の時点で「私」はいらない。
追記)
トウカイテイオーは1年間休みながら頑張っていた。
(2023.2.14)