オープンでフラットな組織 Vol.24
最近、つくづく思う。
それは「オープンでフラットな組織」って本当に良いという事。
考え方も結果に対する評価基準もオープンだし、ビジョンの下に集まった同士だからこそ、責任や役割の違いはあるものの、上司と部下というような縦の関係じゃなく、1人の人間として向き合い、互いに尊敬し合える部分を見い出す、ごく普通の人間関係。
そんなフラットさを組織にも求めている。
起業して21年目
2001年8月に創業した私たち。
今年の夏、21周年を迎えます。
組織が21周年ということは、私個人も起業家として21年目を迎えるわけで。
21年間、起業家・経営者として、組織をけん引してきましたがFacebookやSNSで繋がっている知人に「創業21周年」を迎えることを伝えると「凄いですね」とか、「生存率、0.3%ですよね」とか、数字を引っ張りだしてきて、褒めてくれる場面があったりする。
そんな大したことじゃないと思っているけど、たまには、素直に自分で自分の頭をなでてあげても良いかもしれない。
経営者の器
起業家として、21周年の自分をオープンに笑
この21年間、自分は何を成し遂げてきたのか、ライフラインを見返す。
正直、具体的な実感はない。
そればかりか、義憤も消えていないし、経営課題も山積しているし、そもそも、ビジョンである「もう一度、愛着を持てる豊かな世の中へ」は達成していない。
もちろん、リユース事業を飽き性な私が飽きずに21年間、営んできたのは事実ですが、社会全体やアパレル業界から俯瞰してみると、小さな存在に留まっていると思う。
この21年間で急成長を求めず、スケールしなかった理由に『スモールイズビューティフル』という腑に落ちた価値観が私の中に在り続けたからなのか?
そう言えば聞こえは良いですが、葛藤の下にあるのは、自身が生まれてきた意味や価値を高めていける生き方をしたい、悪しき商慣習に一石を投じられるような存在でありたいという感情です。
この感情を粗末に扱い、蓋をしていたことに気付きました。
だって、私たちは世の中の価値観を変えるべくして存在している企業であり、そのトップなのだから蓋をしている場合じゃないと思っている。
トップの影響
私が23歳の時、子供服のリユースから始めたのが弊社のはじまりだった。
23歳の若造に付き合っても良いと思ってくれたアルバイトさん、社員の皆さんとの出会い、そして別れ、店舗の出店から撤退まで沢山、経験してきました。
どんな理由であっても、自身の決断の結果の連続が今であることに間違いはない。
どのように私が考え抜いたのかはどうであれ、私の最終意思決定により、弊社の今は作られているし、「社格」や「社風」に与える影響が大きい存在が経営者だと思っている。
「主体性」を重んじる人間
誰にでも得意なことと、不得意なことがあると思う。
私にも多くの不得意がある。
本当に短い期間しか経験できなかった会社員。
グループ会社に入り、リピート営業が嫌で新規開拓営業を一本でやりたいと我が儘を言わせていただいたし、正直、再び起業することは腹に決めていたから、まずは結果を出すために与えていただいた研修やツールを活用しまくっていた。
不得意なことは避けていたから、当時の上司には申し訳ない気持ちはあるが、人が嫌がる仕事は自ら進んでやってきたし、新規開拓件数も表彰されるなど、一定の結果は出していました。
翌年の春、新規事業を起こそうと当時の社長が動き出されたのを知り、名乗りを挙げた。
その瞬間こそが、起業家のスタートだった。
先輩も一緒にと言われたが、あまりにも動かないし、車の中で寝てるし、邪魔だしね、1人でやる旨を提案して、自分の力と頭でゼロイチを創る貴重な良い経験が23歳という若さで積むことが出来た。
どんな店舗を作るのか構想したり、什器を中古で仕入れるために4トントラックを借りてきて取りに行ったり、リフォームする資金が足りず、一般家庭用のクッションフロアを使ったり、バックヤードの壁天井は自分で塗った。
一緒に働いてくれているスタッフさんを採用するため、求人媒体選び、面接、雇用契約、シフト作成、給与計算、請求書の発行、クレジットカードなど売掛金の入金確認、タウン誌や折込チラシのラフ案作成や入稿監理、、、。
もちろん、初めての仕事ばかり。パソコンも不得意なんて言ってられないから教科書片手に掲示物やマニュアル作成まで何でもやってきた。
今、分業している事のすべてを、自分がやっていた。
だから、頭の中に、『やろうと思えば何でもできるはずだ』とか『自ら学ばない人を見ると人生勿体ない』と思ってしまう。
そんな考え方の染みついた経営者がトップだから、「主体性」を求め続けるだろうし、口だけで行動しない人を見たり、他人が見ている時は必死になって他人が見ていない時に手を抜くような狡い人を目の当たりにするとガッカリする。
サラリーマンには選択の自由がある
サラリーマンには退職の自由があるけど、経営者には退職の自由は存在しない。
当たり前のことだけど、役割も責任もまったく異なる。
毎月の給与を滞りせず、支払うことが経営者としての最低限の仕事だし、社員の豊かさを追求するために、お客様の声を結果で捉えたり、組織を俯瞰して見渡したり、方針や優先順位を決めることが仕事だと私は認識している。
経営者も役員も上位管理者も社員と一緒になって仕事をする役割でも責任でもない。
社員の少し先の未来を示すだけではなく、見せられるために仕組みづくりをする役割と責任があるし、ある意味、一緒になって仕事をしない覚悟が必要。
もし、最低限の仕事ができない状態に陥れば、社員のやりたいことに目もくれず、すべきこと、捨てることを粛々と進める役割と責任を果たす優先順位が高くなる。だから、組織を守るため、必要であれば厳しい決断をすることも役割と責任になる。
個人的にも様々な経験をしてきたし、21年間も経営者として生きてきたから、精神的に病むことはないけど、それでも、ビジョンを示しておきながら、計画どおりに進まなかったり、ビジョンや理念とギャップが生じるような決断(撤退や採用休止など)をしなければならない時も少なからずあるわけだから、相応なストレスがかかる仕事だと思う。
結局、気付いたこと
そんなストレスを覚悟で経営者を務めてきたけれど、経営者として何を成し遂げたいのか、何を残せるのだろうか?という疑問を持ちながら21年間、生きてきた。
一昨年『自己の使命』を本気で考える時間を設けることが出来た。
熱海の山奥に経営者8名が集まり、『自己の使命』を本気で考える時間を過ごした。
自分について理解し、深堀りしていく中で、たどり着いた『自己の使命』が明確になった。そして、『自己の使命』を社内にオープンにしてきた。
到達するために必要な決断は全てやる。
だから、抱えていた葛藤や蓋をしてきた感情は昨年、すべてオープンにした。
そして、自社のビジョンや私達の目指す未来を達成するため、自己の使命を果たすため、採用や教育の仕組み化、出店計画の全てを思い切ってやると決めた。
会社は活用するもの。そんな感覚で丁度良い。
会社は活用して貰うものだと思っている。
なぜなら、そもそも、会社は箱に過ぎない。
人がいなくなれば、ただの箱。
社畜なんて言葉あるが、自分を粗末にしている、ふざけた話だと思う。そもそも飼い慣らされる対象に自分がならなければ良いし、身を置きたくない箱なら外へ出ていけば新しい箱は存在している。
身を置く箱を決めたならば、その箱の中にいる人達と一緒に、より良い箱に作り変えていけば良いだけだと本気で思う。
自分の家庭と組織を重ねている
私の家庭は皆、フルオープンな関係。
娘は彼氏が出来たり、何か変化があれば教えてくれるし、嫁は何でも身近に起きた話をしてくれる。
娘は22歳。新卒と同じ年齢だ。その娘とオープンでフラットな関係が築けているから、組織でも同様な関係を築けるはずだと思っている。
弊社には、ドリカムシートなるものが存在する。
個人の夢が可視化されたシートで私のシートも全ての社員に開示している。
弊社の社員も組織人である前に個人である。
ただ、人生を豊かに過ごすために一人で過ごす選択肢を選ばす、社会に出ようと考え、そんな中、弊社に偶々、縁があり、ビジョンやバリューに共感していただき、ジョインしている。
せっかくだから、ジョインした組織が素晴らしい存在であれば良いし、私の家庭のようにオープンでフラットな関係が良いと誠に勝手ながらに思っているから、そんな組織を目指してきた。
なんでも気軽に話せて、ストレスを抱える前に相談できて、愚痴は意味がないからスルーしても、提案は否定せずに傾聴する。
弊社は今、まさに、そんな組織になりつつある。
先日、ウェルビーイングスコアなるものを初めて実施した。
結果、会社に対する愛着レベルが9/10評価という高い結果が出た。
会社というのは、個人の集まり。
だから愛着のある会社は社員同士に愛着があることを立証したことになる。
だから、私は社員のことを誇りに思っている。
素敵な仲間がいる組織、オープンでフラットな組織。
是非、興味をお持ちの方はエントリーしてみてください。