神戸青春格闘技物語
神戸総合格闘技の歴史。
その前に北川先生について軽く説明を。
奈良県出身、高校から柔道を始め、後に道都大学へ推薦入学。
(竹原ピストルさんとかキャプテン選手も同大学)
在学中に国際B強化選手に指定される。
(野村忠宏とも試合してるよ。)
大学卒業後、一旦就職するも格闘家の夢を諦めきれず格闘技通信片手にジムを探す事に。
その後直心会格闘技道場に入門。
直心会は元々キックのジムとして小池 孝典館長
(柔道二段、空手初段、少林寺拳法三段、タイにムエタイ留学、サンボのルールも知らない状態でロシアで試合をするなど数々の武勇伝を持つ、ボクシング元日本ランカー、過去にはモデル業も)
によって設立される。
その後総合部門が作られ、そこで三宅会長(現・直心会平野道場会長、先生曰く『天才的な指導力』タネ・ヨシホ選手等の師匠)の下、総合格闘技を学ぶ。
その後コーチ業を引き継ぐ事に。
そこで生駒さん(現・寝屋川GYMS直心会代表)
菅谷さん(直心会最強)
椎木さん(ABEMA 格闘技番組担当)
田中さん(現・直心会本部TK68ヘッドコーチ)
春崎さん(フライ級初のクラスA、ランバーを復帰させた人)
等の選手を育成。
その後オファーを受ける形でシューティングジム神戸の代表に就任。
元々縁もゆかりも無い土地。
そして所属と特に関係の無いシューティングジム系列。
さらに総合格闘技未開の地神戸。
そこの新規開拓を任される事に。
当初は、一か月程誰もこない誰もいない空間に1人で過ごし病みかける。
(だから動物園の動物の気持ちが分かるらしい)
そこに一番初めに入ったのが
兄やん(KING JOH)、マサさん(小西"獅子"優樹)で、その後大野さん、小堂さん、大分空いて小堀、ちょっとフルスイングの順(ちょっと端折ったけど)
その後、シューティングジム神戸を退職。
一度は完全に格闘技界から離れるも、周りの声も有り復帰。
総合格闘技ゴンズジム設立。
それに伴い、大野さん、小堀移籍。
(ちょっとフルスイング)
その後まもなく山本(オニボウズ)入会。
その間に兄やん、マサさんが独立して
『KING GYM』創設
そこから独立したのがじゅんくん率いる『reliable』
etc…
と言う形が現在の神戸総合格闘技界分布図。
この様な流れからも、他のシューティングジム系列とは少し違った雰囲気のジムだったのかもしれない。
スタイル的にも大分違って、シャープな打撃とタックルを切る技術に長けたシューティングジムスタイルでは無く、打撃は乱暴、タックル入られても下からスイープ、極めを狙う直心会の流れを組む動きが多かったと思う。
現にマサさんなんかは試合では打撃のイメージが強いが、実は下からのグラップリングとかが滅茶苦茶強く、下になる事を恐れない思い切ったテイクダウンを仕掛ける等、滅茶苦茶クレバーなスタイルだったりするし。
最後はなんか纏まらん感じになってけど、大分ギュッとしたらこんな感じです。
まぁ別に今の子らは知らなくても良いことやけど、一応書いて残してみました。
色んな人がおったお陰で今がある訳やしね。
おしまい
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