パキスタンで教育を十分に与えられない女の子たち:AIに食わせるための日記02
こんにちは、GardenBeeです。
AIに食わせるための日記02
1. 今日の出来事と感情の振り返り
昨日からタコにはまりました。
タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源
という本を読み始めました。
ピーター・ゴドフリー=スミス氏は、哲学者としてタコを研究されている方です。まずこのテーマ設定にとても感動しました。こころ、や、意識を考えるためにタコを研究するために、海に潜っているというのですから。
そして一番最初に書いてありました。
わたしたち人間が、他の動物にも「こころ」があるかと考えるとき、自分たちの「こころ」を前提にしてしまう。ということ。そう、それはたぶん間違いで、「こころのあり方」は生物によっても違うだろう。
タコ問題ではありませんが、今日はパキスタンの女性と教育について調べていました。
女の子の子どもたちや、子供を抱えた女性が、「お金を請いに来る」のを見るたび、なぜなんだろうと思ってしまいます。
私達がちょっと無駄に使っているお金で、多くの人が暮らせるわけですし、ちょっとくらいお金を渡したらいいじゃん、とわたし個人としては思っています。だけどそれよりも、仕事づくり、いや、それ以上に、教育の機会なんだろうなって思います。
以下、本日のリサーチ
実際に、わたしがよく仕事をしている開発者たちの町である「ペシャワール」では、通常女性は仕事しません。家事と育児が仕事だからです。そして、Jawad(開発のリーダー)はオープンな考えなので、女性の教育は重要だし、本人の意志を尊重するべきだ、としながらも、女性たちが家にいることは、彼らにとっては、「Protect」保護なのだという。
それは、take care ofしているのだ、という価値観です。それはそうなのかもしれないし、家族の問題であり、周りが何か口をだせる問題でもないだろう。「こころ」の問題のように、「通常わたしたちが」ということを、他も当然だとは思ってはならない。
でも、そういうことを「自由に考えてよい、人によって違う」と考えてしまうのだとしたら、女性や子どもの人権保護団体が存在するはずがないのではないか、とも思う。
元気で仕事できる人、それだけで幸せなのであり、そんな幸せな私達が、世の中を幸せにするために何か考えていくこと、行動すること、そういう責任を考えていかないといけない時代だと思う。
そうでなければ、人生の時間って、ただ時間に流されて消費しているだけになってしまうよな。
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