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柚木麻子の『エルゴと不倫鮨』が「最高に美味な鮨体験」をアップデートしてきた
柚木麻子の小説を読んでいると、どうしようもなくお腹が空く。
「あぁ、今からすぐに家を飛び出して、ちょっといい店でうまいもん食いてぇ!」
という気持ちを駆り立てられる。
新刊の『ついでにジェントルメン』(文藝春秋)に収録された『エルゴと不倫鮨』を読んで、素晴らしい鮨体験をしたので、ここに書き残しておく。
■『その手をにぎりたい』から『エルゴと不倫鮨』へ
これまで彼女の“鮨小説“の代表作と言えば『その手をにぎりたい』(小学館)だったと思う。一等地の高級鮨屋と職人に魅せられた女性主人公が、キャリアの節目節目において、その都度違った心境で、給料に見合わない高級鮨をたしなむ。
シャリにこめられた人肌のぬくもりと、とろけるようなネタの脂肪分に、アガリのようにちょっとほろ苦い恋心が加わり、なんともいえない後味が広がるストーリーだった。
読了時、私には幼い子どもがおり、高級店での外食がままならかったので、ちょっとだけ高い刺身を買ってちらし寿司を作った。
2022年、新刊の『ついでにジェントルマン』に収録されている「エルゴと不倫鮨」で、その気持ちがアップデートされた。
端的に言って、ウマい!
ウマすぎる!
このストーリーは、1人の女性が抱っこひもの中で眠った子を連れて、ちょと先鋭的な高級鮨屋を訪れる様子が第三者の目線から描かれている。
彼女は生ものを自由に食べることのできない妊娠期を終え、外出がままならない産後を終えて、制約の多い授乳期を終えたばかり。
そんな状況での高級ローフィッシュとアルコールのマリアージュ。設定だけで寿司鮨のありがたみが天井を突き抜ける。「そんな設定、反則やん!」と思うほどに。
約2年もの間、好きなことをあきらめていた期間を終え、自分の食べたいものを、自分の望んだ食べ方で、さもウマそうに食べる母親。積もり積もった希望を1つ1つかなえていく描写は、胸のすく思いだった。
「自分の人生を主体的に選ぶ」という強い意志さえ感じられた。
このストーリーには、若い女性を鮨屋に同伴しすることで承認欲と自信とすけべ心を満たすエリート男性が出てくるのだが、すし屋という空間で異質な存在である子連れ女性と男性との対比はじつに鮮やかだった。
■出産後の小説に訪れた「変化」
あくまでも私の主観だが、柚木麻子の小説は、彼女の出産後、少し変化があったように感じる。
シニア女性を主人公とした『マジカルグランマ』(小学館/2019年)出版時のインタビューで、彼女は以下のように語っている。
<出産したあと体力がなくなって、街に出るのも辛かった。そのとき、ふと、私と高齢者の方って地続きなんだと思いました。勝手にお年寄りは遠い存在だと思い込んでいただけだと気づいたんです>
産後、以前のように「自分の時間を仕事に注ぎ込む」ということが難しくなり、自由に残業できる夫への複雑な思いを抱えつつ、ふと社会を見れば多くの家庭の中にそうした課題が埋没している。そんな社会に向けて「ストーリーをつむぐ」という形で、さまざまな歪みを提言しているようにも見える。
彼女のつむぐストーリーは、経産婦の私には涙が出るほど響く。そして胸がスッとする。なかなか手の届かない高級鮨は、よだれの滝が流れるほどそそられる。
でも、久々の鮨を食べた打ち震えるような感動は、自宅にこもりがちな産後の女性とは対の立場のいる人たち、例えば『エルゴと不倫鮨』の不倫男サイドにこそ届いて欲しい。心からそう思う。