『勇者たちの中学受験』の胸のヒリヒリから感じたこと
首都圏の中学受験熱が過熱している。
「中学受験は親次第」なんて言葉も聞かれるほど、家族の協力が必要不可欠な領域である。
そんな中、Amazonの教師向け書籍のカテゴリでベストセラーになっているのが『勇者たちの中学受験 わが子が本気になったとき、私の目が覚めたとき 』(おおたとしまさ著/大和書房)という本だ。
家族問題や教育に造詣が深い著者は、近年は中学受験の緻密な取材を重ね、さまざまな媒体に寄稿している。『勇者たちの中学受験』はいつものおおた氏の文章とはちょっと異なり、受験シーズン真っ最中の3つの家族に迫った、実話に基づいた物語となっている。
各章の家族が受験期までにたくさんの選択を重ねて、子どもは勉学に励み、親は子を支えてきたことを、たった数日間の描写で連想させる巧みな構成。読み手をグイグイ引き込んでいく。
そして、登場する塾名や学校名は、全て実名。
塾の営業方針や教育方針、親が考えている学校のレベルも全てありのままに書かれている。
紆余曲折を経て、子どもにとって“ベター”な道が開くケースがあれば、親が子どもの将来を遠くまで見渡していた“つもり”が、1歩先しか見られなくなって親子・夫婦が傷つけ合って家族が壊れかけるシーンもある。
塾業界で、ひとにぎりの天才たちが、とことん優遇されるいびつな構図も垣間見える。
あまりにリアルで物語として引き込まれるが、その一方で、そこはかとない悲しみや違和感もわきあがってくる。
「中学受験を取り巻く塾業界、ちょっと異常じゃない?」と。
小学生の競争心を煽り、親の不安を駆り立て、通常講座に加えて特別講座の代金や模擬試験など、課金に次ぐ課金はまるで「お布施」のように見える。「塾」という狭い組織の中でできる者はもてはやされ、鼻がグングン伸びていく。
今週、『勇者たちの中学受験』とあわせて『実力も運のうち』(マイケル・サンデル)を読んだ。
アメリカでは、高収入の親の元で豊かな教育費をかけられて育った子ほど「よい」学歴を得られる可能性が高く、それは自分の努力のおかげと信じる風潮があるという。
ふと、数年前の名門国立大学の入学式の祝辞を思い出した。
叶うことのない理想論を語るのなら、勉強は、自分が見たことのない世界に触れ、異言語・文化を知り、異なる世界で暮らす人の心を知ることができる手段だ。
多分、中学受験をする多くの親は「我が子が我が子らしくいられる場所を」「よりイキイキと学べる場所を」「内申点とは無縁の場所を」などさまざまな理由で受験することを選んでいる。
合格して望んだ場所に行けたら幸運だが、そこに到達する過程で勉強が勝ち負けの手段となり、できる子がそうではない子を見下し、できない子の家庭ができる子の家庭の分まで塾の学費を払うような構図が、小学校の時点で生まれているのだとしたら、悲しいな、と思う。
そんな複雑な読後感もふくめ『勇者たちの中学受験』、著者のあとがきが胸に迫ってくるので、私のように中学受験に無縁な方もぜひご一読あれ。