【読書感想文】背筋凍る調査本『ぼっちな食卓』。「育児期の記憶の改ざん」が恐ろし過ぎた…
もっとラクしていいんだよ。
自由でいいんだよ。
こうあるべきなんてないし、嫌なことはやらなくていい。
個を尊重しようよ。個々が好きにすればいい。
そんな、耳当たりのいい優しい言葉があふれている。
だが、食卓の置かれた「家庭」という空間で、個々が自由に暮らす先に何があるのか?
そもそも「勝手」と「自由」の違いは?
「あなたが望んだから、それを選んだ」は、本当にその人のためになるのか?
その結末の一端は『ぼっちな食卓-限界家族と「個」の風景』(岩村暢子)の中にある。
同著は、著者が複数の家庭の食事の内容を20年にわたり、膨大な時間をかけて行った調査結果をまとめた本だ。
冒頭、対照的な家庭が紹介される。
子どもたちの自主性を育ませるために好きな食べ物を選ばせていた家庭と、きちんと手作りの料理を用意して食卓で厳しくしつけていた家庭だ。
その後、子どもが成長し、巣立ち、夫婦は年をとり、家族はどう変化していくのか。
詳しい結論は本を読んでいただくとして、「子の自主性に任せて」「個を尊重して」といったポジティブな言葉が、空々しい呪いの言葉に化けるほどの内容だった……と言わざるを得ない。
そして、その結論が出るまでの20年間のプロセスで、何度も背筋がゾクゾクする。
調査者である著者は、対象者に定期的にインタビューするのだが、時間の経過とともに記憶が都合よく歪曲されていく様子や、話者の話の矛盾があぶり出されていく。
料理を親にまかせていたのに自分で料理をしていたことになっている人、自分の都合だったのに家族が望んだことになっている人、無意識に家族の手料理を冷笑している人。
食事の変遷1つでここまで家族がスクリーニングされるのかと、戦慄さえ覚えた。
著者はつづる。
「個」の尊重を目指しながら、いつの間にかそれとは似て非なる超「個」のせめぎ合う時代になったと。
元京都大学総長で霊長類研究の大家である山極寿一氏の著書にこんなことが書いてあったな……と思い出した。
山極氏は、個の時代、個食の時代が訪れ、結果として個人の利益と効率を優先する社会の訪れを予見していた。全く別の領域の2人の研究者が見渡す「個の時代」がやや重なっているように感じる。
調査本でありながら、一流のサスペンス小説並みにゾクゾクする『ぼっちの食卓』。
「勝手」と「自由」の違いは?
「あなたが望んだから、それを選んだ」は、本当にその人のためになるのか?
その問いに対する、自分なりの答えを見出したい方に一読をおすすめしたい。