大人気ドラマ『涙の女王』に欠如。夫婦関係の描写に必須の「日常のわびさび」【韓国ドラマ】
韓国ドラマの『涙の女王』(Netflixで配信中)の最終話が配信された。日本では配信スタート後、常にNetflixのドラマランキングに入っている人気ドラマだ。
このドラマは、冷え切った仲の夫婦が再び愛を確かめ合う物語。
主役カップルの演技がとにかく素晴らしく、男主(キム・スヒョン)のとめどなく流れる涙も、女主(キム・ジウォン)の一筋の涙も美しく、視聴者を物語へといざなう。
難病、美しいが高慢な女主、わかりやすい悪役、がさつで気のいい田舎の人、いけすかない都会の資本家一族……というように、脚本家(代表作は『愛の不時着』『星からきたあなた』など)の過去作で見たことがあるような設定やキャラクターが集結し、安心して見ていられる安定感もある。
心の距離を縮めていく2人を見て、しばしリフレッシュするにはもってこいのコンテンツだ。
だが、しかし……
【注意:ここからネタバレ含む】
キャスト陣の演技は素晴らしいのだが、残念なことに、このドラマには夫婦特有の「わびさび」や「風情」が全くない。
そもそも、恋人と夫婦の違いとは何か?
と考えたとき、乱暴に分類すれば、それは「非日常」と「日常」の比率の違いだと思う。
夫婦関係においては、家庭という鍋の中で「安心」「幸せ」「怒り」「退屈」「雑事の分担」「親戚づきあい」なんかをごった煮して、「自分たちの日常」が作られていく。
小さなことで悩んだり、受け流したり、流したつもりの過去の遺恨が発酵したりして、そんな履歴も年月を経て、いつしかそれぞれの夫婦の独特の風味となる。
一方、このドラマにあったのは「日常風味の即席フレーバー」だけだった。
絶えず劇的なことが起こるので、悲しい、つらい、甘い、怖いみたいな感情が振り切れっぱなしで「中間」がないのだ。
過去・現在・未来、いずれのシーンでも恋人のようにふるまう甘い時期とその関係が壊れそうな場面ばかり並び、つまらない日常はカムフラージュされている。
壊れかけた関係をたてなおして「幸せとは、繰り返される日常の中ある」と確認し合うためには、劇中のような不幸の劇薬コースを経験する必要があるのだろうか? そんなわけない。
欲を言えば、劇的なできごとにも極悪人にも偶然の縁にも依存せず、日常の機微を、あの素晴らしい俳優陣の素晴らしい演技力で見たかったなぁと思う。