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中国人が見た日本:小倉で飲む(下)~俵屋の主人の苗字から始まった話題

店に入ると、天の思し召しなのか、入り口のカウンターに、本当に2席だけ空席があり、オーナーとコミュニケーションを取るのに最適だった。 「二成」と違って、俵屋はカウンターだけでなくテーブル席もあり、靴を脱がないと入れない。 ただし、店主によると、一度に入れるのは最大29名までだという。

TTさんはオーナーと40年以上の付き合いがあるため、注文の手続きを省き、料理はオーナーのおまかせとして、我々は飲み物だけを注文した。 私は日本に4、5年留学していたが、ついに日本酒に慣れることはなかった。ビールはたまにしか飲まないし、どうやらお酒は現世ではあまり縁がないようだ。

忙しい店員さんは、暇さえあれば私たちとおしゃべりして、初めての人ならではの質問にも根気よく答えてくれた。 しかし、オーナーの名前は聞かなかった。なぜなら、すでにTTさんからオーナーの苗字が「乃木」であることを聞いており、日本の苗字の中でも実に印象深いものだったからだ。

日露戦争において、ロシアの旅順口要塞を奪取した総司令官を乃木希典といい、その二人の息子、乃木保典と乃木勝典は戦死している。 軍国主義の先駆者である彼は、1912年、明治天皇の葬儀の際に妻とともに自決し、中国人が「罪の生涯」と見なす生涯を終えた。

"俵屋 "のオーナーである乃木氏が、長州藩(山口県)出身の乃木希典と同郷であり、なおかつの親戚であることを知り、少々驚いた。 日本の中国侵略の歴史を知っている私には、初めて日本に留学し、東郷大峰山に登り、日露海戦を遠望したときに詠んだ即興詩がる。「東郷大峰を見おろすと百年の荒波が目にしみる。日露の争いはここより始まる。なぜ、旅順湾に手を出したのか」。ここでいう「東郷」は地名であると同時に、日露戦争で日本海軍の総司令官を務めた東郷平八郎の名字である。 また、「旅順湾」という名称は、中国の北東を指している。 おっと! 近代史となると、ついつい筆が進んでしまう。

もともと「小倉で飲む」というテーマで3回書く予定だったので、「上」「中」「下」と題名に入れた。ところが、自分で自分を囲い込んでしまったようだ。まだ書き切れていない分があるが、さてどうする?
いい手がある。「補足」という形で追加し、しっかりと終結させることとしよう。 (続く)

【出典】https://www.toutiao.com/article/7108673693911450147/?log_from=1f654756d45c78_1661404712176
【翻訳】松本忠之

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