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中国人が見た日本:【下関条約】締結地の訪問考察(1)〜日清講話記念館
一週間前、日本人の友人IS氏と出かけることになり、最初の目的地は山口県下関市にある下関条約が結ばれた日清講話記念館であった。 1週間後にこの記事を書いている今も、考えがまとまっていない。 憎しみ、屈辱、痛み、反省など、複雑な感情が私の心に取り憑いて、書くことを阻んでいたのだ。
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近代日中関係を専門とする私にとって、日中戦争の歴史はあまりにも身近なものである。 おそらく、細かいことを知りすぎていて、書き始めるとキリがないのだろう。
1ヶ月ほど前、ISさんと旅行の計画をしたとき、まずこの記念館に行くことを提案した。 実はこの場所、私が福岡に留学していた2004年の秋にも訪問している。留学中に知り合った親友のWさんが博士号を取得して帰国することになり、荷物が多いのでフェリーを選んだ。 当時、下関から青島への国際線は週に1、2便しかなかく、別の友人と下関に見送りに行ったとき、日清講話記念館に立ち寄った。
18年前の記憶は今も鮮明に残っている。 緩やかな坂道を登ったところにある黄色い記念館は、一見すると普通の日本の「一戸建て」だが、ここに残された歴史は、中国人に百年の恨みを持たせるのに、十分すぎるほどである。
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記念碑の下には、下関市役所からの案内板があり、ここが重要な場所であることを示している。 幕末維新の牙城の一つである伊藤家の屋敷であり、1885年に初代内閣総理大臣となり明治政治を築いた伊藤博文の「本拠地」であった。
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明治天皇もここを訪れた。 その隣には、山口県出身で日清戦争を戦い、1927年以降首相となった田中義一が建てた「明治天皇御料車記念」と刻まれた石碑がある。 日本が山東省で引き起こした「済南の悲劇」、国民革命軍の北伐統一の阻止、そして世界に衝撃を与えた皇姑屯事件も、「東北の王」と呼ばれた張作霖が日本兵の謀略で死亡したのも、田中の在任中であった。 (続く)
【出典】https://www.toutiao.com/article/7105166979169894946/
【翻訳】松本忠之