自分からひとりにならないで
私は今、屋久島~福岡~石垣島というなんとも贅沢なひとり旅の中。
『自分からひとりにならないで』
この言葉は福岡にて親戚の家のトイレに何気なく飾ってあった言葉。
社会になって、自由に使えるお金もできたし、時間さえ調整できれば、誰を気にすることなく、自分ひとりで好きな場所にも行ける、そんな環境がしあわせだと感じていた。さらには、私は一人でどこでも楽しめる大人はカッコイイという思う節があった。
そんな私の思想とは真逆のように聞こえる言葉が目に飛び込んできた。
年を重ねるにつれて、ひとりが好きになってきていた最中、ひょんな言葉に少し傷ついた。
私はこの言葉のように、自分からひとりになっているのだろうか、、とふと考えさせられた。
「自分からひとりになる」とは・・・
こんな感じだろうか。つまりは、「自分から周りを拒み、人と人との通じ合いがない状態」が、「自分からひとりになる」ということかな、と解釈した。
その意味では私はひとり旅だけど、ひとりじゃない。
屋久島、福岡、石垣島と、3カ所巡ってきたけれど、周りには常に人がいた。
屋久島では予定していた宿に急きょ泊まれず、あたふたしたけれど、地元の人がすてきな民宿を紹介してくれた。その民宿では温かい笑顔のおばちゃまがまるで本当の娘のように迎えいれてくれた。10時間ほどの縄文杉トレッキングから帰ってきた際には美味しいチョコレートケーキとコーヒーを用意してくださり、色んなお話をした。疲れた体に甘さと温かさが染み渡った。
こんな調子で、福岡・石垣島でもたくさんの出会いがあり、ひとり旅だけど全く寂しさはない。
ひとりで外に出てみると、友人や家族と旅行に出かけるよりも、思いがけない面白い出来事、出会いが待っているのかもしれない、ふとそんなことを考えた。でも、そのような出来事、出会いが生まれるのは、自分がいつも以上に他者やその土地に関心を持ち、自分から周りの人に働きかけているからではなかろうか。
自然と『自分からひとりにならない』行動をしていた自分に気づく。
『自分からひとりにならないで』
これは何も一人で行動することが悪いということではない。
いつでも、心の通じ合いができるような環境に人はいて、自分次第で、そこから自然と出会いは生まれるよ、というメッセージ。
ひとり旅にでると、いつもの日常では気づかないことに気づくタイミングがある。
決まった工程をこなす旅ではなく、その土地や人に触れ、次の行動を自由に決めていく、そんな旅が好きだ。そして、旅のエピソードを持ち帰り、家族や友人と美味しいごはんやお酒を囲みながら、話す時間もやっぱり好きだ。