大鍋で煮た枝豆を心行くまで頬張るだけの話
婆様が痴呆症に罹ったと母親から連絡が来たのは十数年前のことだ。信じられないことだけどうちの婆様は少なくとも十年以上呆けっ放しで健康に生きている。たまにうっかりして骨折もするが、必ず不死鳥の様に復活し、老人ホームに帰還する。婆様の事はよく知らない。母親の母親ってことくらいしかわかっていない。私は爺様と仲が良かったし、女性が苦手だから婆様を避けて生きてきた。婆様は品位に欠けた人物だった。いつもメロドラマをテレビで観て泣いていた。私はガキの頃、婆様たちの住む山形県に夏は疎開していたから婆様と顔を合わせた。婆様と私以外誰もいない家は息苦しい。婆様はよくもまあ呆れるほどに泣いている。筋が古典的なしょうもないドラマで泣いた後で、仕方なしに私に食事を用意する。私は婆様の用意するメシ(全部に茗荷が入っていた)が好きではなかったから、婆様も私がしだいに憎くなってきて、貴様はろくでなしの父親とそっくりでミテクレだけの奴だと小さな目が語っていた。爺様も叔父も仕事にかかりきりだし、婆様は基本的に野良仕事と道路整備のバイトしかしていなかったから二人っきりなるのは必然だった。暇になると私は裏庭に行き蝉の抜け殻を収集し婆様は野良仕事を始める。婆様の畑は几帳面な爺様の田圃と違って雑草が多くて他の人たちの畑と違って野菜の種類も多くカオスだった。婆様は苦手だったが、婆様の作る畑は混沌の渦に巻かれているようで好きだった。婆様の自慢は特に粒の大きい茶豆という品種の枝豆だった。糖度が高いのでややとうもろこしの様な香りがする。こいつを大鍋に湯を張って豪快に婆様は湯掻く。それからろくに昼食を摂らない孫に一言「け(食え)」とだけ言ってすぐ裏の家の婆様とたべりに出掛けてしまう。私は一心不乱に大ザルに盛られているだだちゃ豆をやっつけていく。窓からは信じられない大きさの入道雲が見えて田圃がどこまでも続いているのが見える。室内には私が枝豆を咀嚼する音と蝉の鳴き声だけが響いていた。あの夏いちばん静かな農村。
婆様と久しぶりに話したのは爺様が死んだ冬のことだ。私はその頃無職で女の家に転がりこんだりノイズ音楽のバンドをやったり詩の朗読会で殴り合いの喧嘩ばかりしていたから、婆様は本気で私が嫌いなようだった。それでも婆様は茗荷入りの味噌汁を作って飲ませてくれた。私はその頃すでに自分で料理をするようになっていたから婆様の作る料理がかなりレベルの高い山形の郷土料理であることに気づいていた。婆様はまだ呆けていなかった。まともな職探せよ、とだけ婆様は言って居間に行きテレビをつける。相変わらずくだらないドラマを欠かさず観ているらしかった。
婆様が完全に呆けてしまった夏。婆様はもうドラマなど観ようとしなかった。もう筋が追えないし、目の前にいるのが誰なのかわからないようだった。私のことを久しぶりに観た婆様はどちらからいらっしゃったのですか、消防団の方ですよね、と言っていた。とても美男子ですねと照れてさえいた。私は婆様の茗荷入りの味噌汁がもう二度と飲めないことを悟った。そしてあの大鍋で煮た大量の枝豆と対面することはないのだ。私の枝豆。私の夏。
それから何度目かの夏がきた。私は自宅で山形県産の枝豆をスーパーで見つけて大量に茹でる。小粒でとうもろこしの様な匂いはしないが一応だだちゃ豆と書いてあった。まあ空腹こそ最高の調味料だ。私は一心不乱になって枝豆をやっつける。指が痛くなる様な量の枝豆をあなたは食べたことがありますか。お元気ですか。すでに筋がわからないかもしれませんが、あなたのろくでもない孫は枝豆をまた大量に食べています。ですから、私の夏は枝豆を食べるだけの季節なのです。