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Dead Collage You Hold [冬は何もすることがないので死ぬほど退屈な思いをしなくてはならない]



 我々の住む村は山の中腹にあってそこから町を見下ろすと本当に夜などは宝石箱のように美しく見えて儚かった。冬は厳しい寒さのせいで誰も彼もが顔を暗くして暮らしている。若い我々みたいな連中はそうなると面白くはなくて、胃に穴が開くまで途方も無い量の酒を呑むか、女を餅みたいにこねくり回すかしか、そのくさくさする気分を癒す術もなかったので、大概はそうすることになるのだ。見冬という少女を我々が付け狙った理由を述べるとするならばそうした暇潰しの消化の行為であったのだ、と私は当時の我々の悪行を弁護したいし、見冬という少女の美しさもさることながら、我々が本当に楽しんだのが彼女の兄の身であった。兄はカースケといって素行の悪さと脳の血液の巡りの悪さは村一番というお墨付きをもらって何ら恥とも思わず、彼は専ら自転車を乗り回し、金属バットを後輪の泥除けの上に常備するという危険人物で、我々はカースケを遠目に見つける度に、卑猥なことを言って彼を怒らせるのが日課のようになっていた。すなわち、見冬が初潮を迎えるような年齢になった頃から、ぐんと美しくなったのを、我々は見逃さず、カースケ、妹よこせ、妹と遊ばせろ、紅くなるまで乳首吸わせてみせろ、とからかっては、金属バットを振り回してこちらに自転車を漕いでくる愚鈍の兄を嘲弄するのが冬の慰めとなったのである。見冬は実際、非常に聡明で美しい少女であったから、我々は誰一人彼女に手を出そうとはしなかったのであるが、カースケは金属バットを振り回しては、みいちゃんに下手に近づいてみろぃ、鼻血ぐらいじゃ済まなんでの、と威嚇をしてきた。我々は自動車からカースケをからかっては腹がよじれるぐらいに笑ったものであった。見冬をよこしな、みんなで可愛がってやろう、と言う度に血相変えて自転車で自動車を追ってくる兄の様子ほどこの寒村で滑稽なものもなかった。で、だ。つまり、その見冬は病弱であったので、十五の時に亡くなったのだ。我々は村をあげて葬儀を執り行った。厳粛な、それは葬送となった。色とりどりの旗を参列者の数だけ掲げる村独自の風習の美しい葬式を我々は行うのであるが、その日のカースケを流石につっつく気にもなれず、着慣れぬ喪服を着せられたまま、見冬の棺桶にいつまでも話し掛けている牛のように愚鈍な兄上殿を誰も責めたりはせず、沈鬱にその様子を受け止めて腹に収めたものである。見冬が死ぬ二週間前、輿石という村の長者の妾の子の美少年の家にカースケは金属バットを持って押し入った。電話をもらった我々が急行して、カースケを羽交い絞めにして掴まえてから話を聞いてみると、妹がもうすぐ死ぬと医者に宣告されたのだと言う。我々は、何発かカースケをぶん殴り懲らしめてから、輿石の将ちゃんに、それと何が関係があるのかと問うと、カースケは泣いて、妹がこのまま死ぬと男を知らないで死ぬことになるから近隣で最も男前である将ちゃんに女にしてやって欲しいのだと言う。我々はあきれ返って、愚鈍の兄を縛っていた縄を解いてやり、どこへでも失せろと言った。カースケはトボトボと歩いて帰った。自転車は擦り切れるまで乗り潰したのだった。見冬が女に成れずに死んでからもうかれこれ五年は経つ。相変わらず、村の冬はつまらない。半年前に納屋で首をくくった地蔵塚ん所の春ちゃんの痛ましい死などはあったが、ソレ以来、人も死んでいない。カースケは相変わらず、柴犬のように元気にバットを振って雪の中、半ズボンで過ごしている。我々はそれを遠目に確認しては眩しいものでも見るように目を細めるのが常なのである。

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