Why 5月5日
5月5日の子供の日。
端午の節句ともいうこの日に向けて、毎年のように出す武者人形。そもそもこの人形は毎年面倒な想いをしながら、なぜ出さなきゃならないんだ?(正直、スペース取るし、1年に1回のレアキャラなのに・・・) 鯉のぼりとセットなのはいつからの風習なんだ?と、疑問が湧いてきたので、謎を究明すべく、リモートの可能な範囲で探ってみることにしました。
早速調べてみると、大正13年に発行された『新しき年中行事』という文献の一文で納得しました。
”節句の起源に就ては詳かな事はわからない”
なるほど、わかりました。早速答えに行き着いて良かったです。小林先生、ありがとうございました。
・・・いやいや違った、危うくこの一文で全ての疑問が一蹴されるとこでした。
風習の始まり
そもそも端午の節句は、古代中国から伝来した行事で、日本での始まりは今から約1400年ほど前の時代からだそうです。日本初の女性天皇、推古天皇が5月5日に「薬狩り」というものを催し、菟田野(奈良県)という地域で、菖蒲やヨモギなどの薬草を取っていたそうです。今も続いている菖蒲湯に入る習慣はここから始まっているようで、これは元来、菖蒲が悪気を除く薬草であると見られていたからだといいます。
(そういえば、小さい頃に親父と風呂に入って、体によく菖蒲を巻きつけていた記憶があるなー。)
平安時代〜江戸時代にかけて、今のように国民が仕事を休んでお祝いをしており、この頃から男の子の立身出世を祝し、家々に菖蒲を挿し、幟を立て、菖蒲湯に入り、粽を食べる習慣が始まったという。
(1000年以上も前の風習が未だに全国的に残っているなんて・・・普遍的なものは長く続いていくんだなーと感心)
武者人形&鯉のぼり
江戸時代初期に、武を大切にする考えから、武家の前に兜や薙刀、幟などを立てたことで、これが町家にも広がり、後の武者人形の形を作ったといいます。日本は武士の国でもあったことで、こうした風習は、「勇ましく、強く」という独特の精神を築いていく上でも、大切なものとされました。
(この精神、剣道なんかの武道にも通づるな・・・)
鯉のぼりは、武家で出陣の様子を真似たもので、出生魚でもある鯉を掛けて、今に至るようになったようです。
最後に
なんだか、自分の気になる箇所だけ調べて、気に入った文章のみ、引っ張ってきましたが、歴史を辿っていくと、武者人形を出すの「面倒くさっっ」ていう精神は少し和らぎました。自分のちっぽけな歴史より遥かに重みがあって、その上に立っていると思うと、知ったからには大切にしたいなーと思うわけです。なんだかんだ、毎日武者人形のオルゴールを回していますから、表に出せば良い効果も生まれているなと思います。
思えば、散歩していると、家々にいろんな鯉のぼりが立っていたなぁ〜
参考文献
『新しき年中行事』小林鶯里(文芸社)
『児童教育叢書. 巻5』児童教育研究会 編(東京寳文館)
長崎大学学報. (655)長崎大学総務部総務課(長崎大学)
『胃腸之一年』湯川玄洋 述[他](東海堂[ほか])
『児童図書館叢書. 第11篇』イデア書院
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