運転免許の更新をしなかった理由
よく考えれば、必要のないものは必要ない
誕生日から1ヶ月が経過して、運転免許の更新に行きませんでしたので、運転免許が失効しました。
更新に行っても、弱視なのできなかったのですが、2回目だったゴールド免許の失効は、ここ10年以上、運転をしていなかったことを証しています。
この数年で、漠然と車があれば便利だな、と思うこともありましたが、だからといって別に困るようなことはありませんでした。
さらに振り返れば、今までの人生に於いても、運転しないことで、困るような生活環境であったことはありませんでした。
それなのに、なぜ運転免許を持っていたのだろう、持っていることで何か人生にプラスになったことがあったかな・・・?
そんなことを漠然と考えてみました。
あれば便利な車だが、必需品ではない
運転免許を所有したのは40年前、高校時代に原付免許を取ったのが初めです。
その後、車の免許を取りに行きましたが、必要に駆られてではなく、持っておいた方が良いかもくらいの考えでした。
20代半ばと、30代半ばに車が欲しくなり、スポーツカーと、RV車を購入したことがありますが、それぞれ2年程で飽きてしまい、手放しました。
それなり楽しかったですが、今思えば単に金銭的な余裕があったというだけで、それほど執着していた訳ではありません
大型スクーターに乗りたくて、40代で免許を習得して、乗っていた時期もありますが、これも同じような感覚です。
僕の人生に於いて、車を所有することは、生活をする上で必要不可欠だとか、精神を満たす存在、といったものではなかったようです。
車を持つのは当たり前、車がなければ生活に不便する、仕事には必要なもの、そんな常識が先行していたのだと思います。
便利だという幻覚と物欲を満たす存在
買い物や、ドライブ、に車があれば便利だし楽しいとも思います。
だけど、それほど運転か好きでもない自分が車やバイクを所有したのは、物欲を満たすためだったような気がします。
買う前が一番ドキドキすしてました。
もし、免許を持つことが常識という考えがなければ、免許を持つことも、車が欲しいということもなかったかもしれないです。
たら、れば、の話は意味がないですが、過去の車やバイクの購入費や維持費を考えれば・・・
常識は時代毎に変わります、そんなことに流されたり、縛られたりするのはもったいないですね。
若者の車離れがしばしば話題になりますが、タバコ、お酒の嗜好も、結婚やマイホームを持つことも、「常識」という実態のないものに縛られない生き方の方が自然で豊かな気がします。
記念に撮った、失効した免許証を眺めて感じることはそういうことです。