「無理をしないで!」デフォルトの自分でつきあえる人、つきあえない人。
今年の暮れは忘年会の参加予定は一件もない。
コロナ禍で宴会や飲み会がなかった時期を同じくして、弱視が加速した。そのため、復活し始めた宴会の類に参加するのがひどくおっくうなのだ。
白杖を持って登場するのでまず関心を引く!理由を説明するのも、どう見えないのかを説明するのも、無理して励まされるもの面倒なのよね💦
人数が多いと、話す相手が変わるたびに同じシチュエーションが繰り返される。みんな悪気はなく、善意だけに気疲れしてしまう。
皿の上に何があるのかもわからないので食事スタイルも以前と違い、微妙にぎこちなく、もしかして側から見ると少し行儀が悪く映るかもしれない💦💦
そういうこともあって師走に限らず、気心知れた友人とサシのみ以外は外食を共にする機会は無くなった。
このままでいいのかな?そんなふうにも思うことがあるのだが、やっぱり面倒なのだよな!
幡野広志さんに共感と発奮する話
写真家の幡野広志さんは、2017年に多発性骨髄腫という血液の癌を患い、34歳の若さで余命宣告を受けておられる。この癌は現代医療では完治しないといわれ、10万人に3人と大変珍しいタイプの癌なのだ。
実は、僕も父をこの癌で亡くしている。
幡野さんは、余命宣告を受けてから、癌患者となったから、余命を意識するから、分かるようになった生き方や世界観をXや、ブログで発信し、多くの著書も出されている。
その言葉や文章には、生きることとは何かをいつも感じさせられる。
幡野さんは、癌になってからは以前付き合っていた人の交流はほとんど断ち切ったそうだ。お母様とも絶縁状態だとか・・・
以前から知っている人は、癌患者になった人として幡野さんを見るし、それは以前とは違う人、可哀想な人として接するようになる。
残された時間を、現在進行形で懸命に生きる幡野さんにとっては建設的なものではない。今の自分を受け入れて生きる限りある時間をそういった人との付き合いに消耗するのは、煩わしく、必要のないものなのだ。
病気を告白してから、新しく出会う人の中にはお節介な人もたくさんいるけど、癌である人、余命宣告を受けている人であることはデフォルトであり、その中で、人間関係を築ける人と築けば良いという言葉にものすごい共感を覚えるのである。
同時に幡野さんは、決して引きこもることなく会いたい人には会いに行き、行きたい場所には積極的に行く。
感染症を恐れて安静にしろ、病人は大人しくしていろという人の言うことを聞いていては、なんのための余命なのか後悔しか残らないと言い切る。
その態度に、はっとさせられる。
20年前、自分は親父に同じ態度をとっていたのではないかと、そして癌ではないが、目が見えづらくなった自分に対して、これまた同じことを囁いていはないかと、警告されたような気になるのだ。
煩わしいと思う人とは会う必要はないけど、弱視がデフォルトの僕はまだまだ面白い人と出会える可能性を持っている、それを放棄しては勿体無い。
幡野さんのXには「基本的にはヒマ人なのでお仕事募集します」と書かれている。
人生は最後の最後まで面白がろう、そんな風に勇気づけられるのだ。
還暦を過ぎたら、3年後なんて誰だってわからないのだから。
幡野さんのX↓
https://twitter.com/hatanohiroshi