ホスピタリティーの欠如した人間と、忖度できるAIのどちらが人間力が高いのかを考える!
人間がA Iに勝るのは、ホスピタリティだと言われているが、必ずしもそうとは言えない。
ホスピタリティの精神が欠如している人が一定数いるからだ。
例えば、最近のセミセルフレジ。
目の悪い僕が、白杖を持ち、まごつきながら、お金を入れてくださいという店員さんに、コインはどこに入れたらいいですかと訊いても、“そこです”と指をさすだけの店員さんは多い。
白杖の意味がわからないのかもしれない。だけど、おそらく僕の挙動は普通ではないことはわかるはずだ。
そういった違和感を感じた時にどう対応するかは、家庭あるいは義務教育の過程で、自ずと身につけるべきことだと思う。そして社会に出て、実務については先輩社員から教わる。
ここで、少し疑問がある。
A Iというのは、莫大なデータを、一つ一つ読み込み、それに対する対応をプログラムされて機能するテクノロジーである。
白杖をカメラで感知すれば、あるいは目の見えない人の挙動パターンを記憶させれば、電子音と点灯ランプ機能が発動し、誘導してくれるといったことはすぐにでもできるだろう。
電子音で赤いランプにコインを、青いランプにお札を入れてくださいという機能がつけば、その方がわかりやすい。
ということは、データ分析をして、サービスの改善を行う技術部門の人にホスピタいうリティーがあれば解決してしまう。
そうなると、気の利かない店員さんは単なる見張り役でしかなくなる。人間としてのホスピタリティは、逆立ちしてもA Iに敵わない。
生まれた時から、A Iが機能している世界では、ある意味ホスピタリティーを教えるはずの父母や、先生や、先輩社員の役割をA Iが担う。
ならば、一体誰がホスピタリティを人間に教えるのだろう。
単調な仕事はA Iにとって変わると言われて久しい。そして実際にそのようになってきている。だけど、エモーショナルを担う部分まで、人間よりA Iの方が優れているということになれば、ちょっと怖い。
人の気持ちがわからない人間と、わかるA I。
A Iのおもてなしもどきににコントロールされる方が楽だ。そんなふうに本能が怠けてしまわないのか、ちょっと気がかりだな。見えずらい目で未来を見据えて、そんなふうに感じるのだ。