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なぜ日本人は台湾のことをほとんど知らないのですか?

今年も色々なことがあり、そして学びもあった。中でもコロナ禍以降初の海外旅行で台湾を訪れたことは印象深い。

視力の低下という課題を抱え、障害者手帳取得後初の海外。白杖を右手に、左手は妻の手を引いて、いや引かれての冒険は新たな学びを得る旅となった。

なぜ日本人は台湾のことをほとんど知らないのか?

台湾を選んだ理由のひとつは、年初に行われた総統選。多くのメディアでその行方や、中国との関係を報じられるものの、実のところ台湾については浅い知識しか持ち合わせていない。連日の報道で感じたからである。

親日国と言われる台湾である。事実2019年の台湾から日本への訪日客は490万人であった。この数字は台湾の人口の2,312万人から考えるとなんと5分の1という数字で、驚きの数字だ。観光地で聞こえてくる中国語も、実は3分の1は台湾の人たちの会話である。

台湾の専門家の方が書かれていた記事に、台湾の人から

“なぜ台湾人は日本のことを知っているのに、日本人は台湾のことをほとんど知らないのですか?”

と質問をされるのがもっとも辛いといった内容の記事があった。お恥ずかしながら、私もその一人である。今回の旅はそれを学ぶ旅でもあった。

台湾の歴史を振り返る

台北市内に足を踏み入れると、近代的なビルが立ち並び、東京にも似た街並みに驚かされた。

しかし、メインストリートを少し外れると、昔ながらの屋台や飲食店が軒を連ね、香辛料の香りが漂う。レトロな雰囲気は、中華圏でありながら、どこか昭和の日本を彷彿する佇まいでもある。

台湾は1895年の日清戦争後、1945年までの50年間にわたり日本の統治下となった。公用語も日本語になるなどの歴史を辿ると、それは傲慢でひどい話しと思う。

一方で、統治下の台湾では教育制度やインフラ整備が進み、一定の秩序が保たれてもいたようである。日本の面影を感じるのはこの頃に近代化した名残が今なお残っているからだ。

その後、敗戦国となった日本は台湾から引き揚げ、台湾は中華民国に返還された。中華民国台湾省となった台湾は当初祖国返還に沸いた。

しかし、中華民国政府が台湾を統治し始めると、大陸から移住した官僚ら(外省人)による腐敗や抑圧的な統治が始まり、台湾に元々住んでいた人たち(内省人)との間で摩擦を生じるようになった。この反乱を中華民国は武力制圧をしたのだ。

さらに、中国本土での勢力争いで、中華人民共和国(毛沢東)に敗れた中華民国(蒋介石)は、多くの軍隊や人民を連れて台湾に逃れ、ここで国民党を樹立、独裁的な統治を始めた。外省人による内省人の抑圧された非民主的な時代を経験する。

これが今の台湾の形となっている。日本支配下の時代は平和であったと感じていた人も少なからずいたのである。

その後、1987年の戒厳令が解除され、急速に民主化が進み、1996年には総統直接選挙が実現した。

経済的にはIT産業が発展し、世界的な地位を築くいまにつながっている。また、中国は台湾を「一つの中国」と主張し圧力を強める、その中で台湾では独立志向が高まり、政治的緊張が続いている。

この辺りの教科書的な歴史背景と現在の姿が直線的に理解できた。

中正紀念堂で感じた威圧感


今年還暦の私に置き換えると、同年代の台湾の人達の祖父後は日本語を話し、日本の教育を受けた人たちであった。そして、彼らの父母は日本に影響を受けた両親の下に生まれた人たちである。

同じ民族による弾圧や、外省人、内省人といった分断の中を成人するまで体験している。

戒厳令が解かれた年、日本人である私は23歳であった。社会人1年目で、間も無く弾けるバブル末期、のほほんと暮らしていた。自分と同じ年齢の若者を思うと隔世の感は否めない。

台湾の観光地である中正紀念堂には、蒋介石の銅像が台湾を睥睨(へいげい)している。その姿は巨大で威圧的、権威と歴史の重みを物語る存在で合った。

銅像の下では1時間ごとに行われる衛兵の交代式が多くの観光客の前で行われていた。名物であったこの儀式も新たな総統の下7月から廃止された。

その巨大な銅像を見上げ、その異様なまでの存在感に同年代の台湾の人たちが体験した日々を思った。ほんの数日間の滞在ではあるが、その意味を少し理解できた気がする。

記念堂を後にして、昭和の日本の趣を残す台湾の景観の中を歩く。見えない目であってもその空気間を強く感じた。

なぜ日本の人は台湾のことをほとんど知らないのですか?そう問われて困惑するのはもっともだ。何も知らない困惑である。

ウクライナや、ガザ地区で今起きていること、学ばなければならないことはまだまだある、現地に立つことでしか理解できないこともあるだろう。

これらの国に生きているうちに行くことができるだろうか?白杖片手の異国人が安全に旅行することができるようになるだろうか?

旅する意味を改めて学べた久々の海外であった。そして、見えなくても感じることはできるというのも、もう一つの学びだ。

世界は知らないことで溢れている。これからも出来るだけリアルな体験を求めた旅を続けたい。


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