「シンウルトラマン」はシニカルコメデイでした
白杖の白状(こくはく)
白杖ついて映画へ出かける
久しぶりに映画館に行ってみた。
白杖を持つようになってからは初めてかもしれない
「シンウルトラマン」
子供の頃観た特撮ヒーローもの、字幕なしなら弱視であっても理解できるのではないかと考えたのです!
楽しめました!!
庵野秀明ファンには申し訳ないが、僕は「エバンゲリオン」はよく知らない。しかし、「シンゴジラ」の解釈はおもしろかった。
その庵野秀明氏が、子供の頃のヒーローをどう解釈して映像化するのか?旧友に会う感覚で「ウルトラマン」に再会してきました。
「そういうことか」ウルトラマン
僕は「帰ってきたウルトラマン」を進行形で見た世代で、それ以前の「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」は再放送で観た口です。
「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」は「帰ってきたウルトラマン」とは明らかに違った世界観がありました。
「ウルトラマンタロウ」以降の怪獣ドラマは、もう全然興味がなかったので記憶にありませんし、「帰ってきたウルトラマン」も再放送で観た覚えはありません。
しかし、初期の2作は少年期、青年期を通じて何度も観なおしています。
やらかした後始末を怪獣に押し付ける不条理さ、どこまでいっても精神的に未熟で、化学を弄ぶ浅はかな人類。
そんな人類が被る災難を、仕方ないなとばかりに黙々と処理をしてゆくウルトラマン。
人々は、それをヒーローと呼んでいました。
人類は自分達を邪魔するもの、反動するものは、たとえ自然であっても全て敵と位置付ける生物です。
気に入らなければ、自然にも挑み、破壊を続け、
同類である人間同士でも殺し合う。それを正当化するために神を作り出し、言い訳のために祈ってみせる。
初代ウルトラマンやウルトラセブンには、単なる子供ドラマと違ったご都合主義の人類へのアンチテーゼが込められていました。
その思いが、成長する中で理解できるようになるのですが、見るたびに新たな気づきがあるから大人になっても見続けていたのだと思います。
「シンウルトラマン」はシニカルコメデイ
「次々と襲いかかる怪獣」は天災や戦争の例えのようです。大変だ、もうダメだ、といいいながらもどこかで何とかなるとタカを括っる人の習性。
どんな災禍であっても、最も厄介なのは人間同士の思惑。これを機会に儲けたり、ここぞとばかりマウントを取りあう。
人類が破滅しそうだと言うのに、各国とのやりとりや、騙し合いが繰り広げられる。
煽りを喰うのは、いつも現場の兵士やそこで
暮らす人々です。
物語は、人類と外星人の「思惑」を終始人類の特有の尺度で計った「交渉」で解決しようとする。
「交渉」っていったい何だ?それにどんな「思惑」があるの?
ツッコミ感満載でテンポの良く話が流れていきますが、その軽さは人類の都合のよさを揶揄しているようにも思えます。
外星人同士が人間に扮して、居酒屋で交渉させるシナリオは最高のパロデイでした。
君たちが子供ながらに感じていた違和感はこれだろ!大人になって、わかっているのに、まだ続け
ることをやめられない
そんな矛盾を抱えた人類を、当代を代表する俳優たちにシニカルなコメデイーとして演じさせた映画だった。
映画チケットを人生初で障がい割引で購入しました。
白杖を持ったおっさんが、ウルトラマンの上映館番号を尋ねてくる?受付は、私のことを不思議に思ったことでしょう。
この人、目が見えないのに映画見るんだ!ちょっとしたコメディです。
そう、人生はコメデイだ、笑って過ごそう!!