おとなとして「思っていること」は必ずしも「言いたいこと」ではない
「言いたいこと」と「思っていること」は必ず一致するわけではない。
人は思ってもいないことを口にすることもあるし、心にしまっておきたい思いだってある。
さらに、言いたいことは主張でなく、ただ言いたいだけの場合もある。
妻の話を聴くときは、それが主張なのか、ただ言いたいだけなのかを冷静に判断しなければならない。その見極めを間違え、話に対してうかつに思っていることを言うとドツボにハマる!
“聴いて欲しいだけで、答えは求めていないわ💢”
と機嫌が悪くなり、そのデリカシーのなさを責められる・・・
デリカシ〜については、日頃から思っていることなのだろうか!かなりの主張が展開されるこのになるのだが、こちらはなぜ今怒られなきゃらないのか!と言いたいたくなる💦
いや、言いたいことはそんな妻へのグチではない。
言いたいことを言うときは、それが主張なのか、ただ言いたいだけなのかを意識しなければならないということだ。
聴いてくれる人を選ぶ、場を選ぶ、これはとても重要なことだと思うのですよ!
そうでなければ、結果的に失望することにもなるし、時には人を傷つけることもある。
言いたいことを言い散らかして、しかもそこに理念のないものなら、聞かされる方はたまったものではない。
SNSで発信する場合は、あなたの言いたいことに関心のない人は、大抵は反応はしないだろう。だがご丁寧に、自分の意見をコメントしてくる人もいる。そこで、ただ聴いて欲しいだけと怒っても始まらない。SNSは、あなたの心情を理解している人ばかりではないからだ。
理念なき主張で溢れるXの投稿
言いたいだけの投稿と、主張のある投稿、言いたいことには2種類あると申し上げたが、Xの投稿には、この違いを自分でもよくわからずに投稿している人が多い。
理念なき主張と言って良いだろう。
誰かが言っていたことを鵜呑みにしたものや、丸パクリをあたかも自分の主張として投稿したもの、論旨が支離滅裂なものもある。
こういった投稿に相当数の💌がついているのを見ると、この国は大丈夫か?なんて思うけど、大多数はその内容をしっかり読んで💌を乱打しているだけだと想像する。
そもそも、情熱を持って主張したい、本当に言いたいこととは、それほど多くあるものでない。少なくとも僕はそうだ。
ただ、人間だから考えていることや、思っていることはある。そして時折そんなことを聴いてもらいたくなることはあるし、書いてみたくもなる。
そういった内容を、主張としてではなく、考えとしてわきまえて投稿するのなら良いだろう。ただその文脈を汲んでくれない人も相当数いることは覚悟しておいた方がよい。
今日のこの内容だって、別に言いたいことではなく、理念ある主張でもない。ただ思ったことを綴っただけだ。
人は、「いいたい事」は特になくても、「思っている事」は結構あるものなのだ。
おとなとしては、そこはわきまえておきたい!
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