誰もいない朝の小さな交差点
白杖の白状(こくはく)
ルールを守る人がいることの安心感
朝の日課、毎朝6キロ歩いています。
以前は、マラソンが趣味だったのでこの距離を走っていましたが、弱視になってからは中断してしまい、体重が5キロも増えてしまったので、歩くことから再開です。
当然、走るのと歩くとでは時間は倍以上違います。今は約2時間ほどの運動になるため、今までより早い時間から開始します。
この季節は、日が明るくなる5時過ぎに家を出ますが、まだ人や車の往来も少ないため、歩道のない住宅街でもストレスなく歩くことができます。
朝の空気も気持ちいいですね。
住宅街を抜けると、あちらこちらに小さな交差点があり、人も車の往来もないのに、信号が防人(さきもり)の 如くその交差点を見守っています。
今では、早朝であっても、どんな小さな交差点でもこの防人(さきもり)の指示に従います。しかし、赤信号は認識できるのですが、青信号はなんとなくしか、わかりません。
青く光る信号が、どの辺りで 点灯してくれているのかを見つけることが難しいのです。
人や車の往来があると、ルールを守る人達に合わせて、状況を判断できますが、早朝の交差点は人がいないので不安に感じます。
1キロほど歩道を歩けば、近くを流れる川の遊歩道があり、障害物のない一本道となります。
ここからは、おずおずと歩いていた自分の人格が変わったかのように、白杖を少し宙に浮かせ、左右に降りながら早足になります。
犬の散歩も含め、早朝の散歩を楽しむ人達の誰よりも早く、ずんずん歩き、その人々を追い抜かして行きますので朝から棒を振り回す、危ないオッサンだと思われているかもしれませんね。
快適な遊歩道を往復し、程よく汗ばみ、遊歩道を後にして歩道に戻ると、そろそろ通勤の車や人が動き出す時間です。
どの交差点も、先ほどと違い赤信号待ちの車や人と、青信号で進む車や人が規則正しく動き出しています。
見えていない他人を見抜く目
信号の色は、周りの人や車の動きで状況を判断ができます。
進行方向の信号が、青に変わると左右を走る車は止まり、人々が横断歩道を渡り始めます。それに合わせて僕も動き出すと、駆け込むように自転車が横切ることが多々あリます。
周りの人は、阿吽の呼吸のようにそれを避けていますが僕にとっては恐怖です。
信号を守らない多くの自転車には驚きですが、視界のある頃は、無意識に避けることができていたのだとわかります。
何度,ヒヤリとしたことでしょう。
自分の身の危険も心配ですが、前後に子供を乗せた自転車は、万が一のことがあればどうするんだと心配になります。
世の中のルールの基準は人それぞれの判断で守られています。
人の気づかいに頼る機会が増えて、そのことがより深刻に感じることが強くなりました。
目が見えなくなって、その一歩を踏み出す判断の責任は、いつも自分にあるのだと云うことも見えるようになった気がします。
誰もが自分を認識しているわけではない、これはとても重要な気づきです。