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一週遅れの映画評:『夏目アラタの結婚』無いものをねだりが「ある」として。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『夏目アラタの結婚』です。

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 いやー、今回のはネタバレ無しでいきてぇんだよなぁ~。というのもそれが批評としてもコアになる部分だから、見たときに体感が伴うことで説得力が増すんですよね。

 主人公の夏目アラタってのが児童相談所の職員なんだけど、その仕事で知り合った子供から頼まれごとをされるのね。それが「お父さんの頭を見つけて欲しい」ってので。というのもこの子の父親は殺されてる、しかも男性3人を殺害した罪で死刑判決を受けた連続殺人鬼によって。それで死体はバラバラに切断され、その一部はまだ見つかっていない。
 だからアラタはその死刑囚・品川真珠と面会するんですよ、どうにかして頭部のありかを聞き出すために。だけどアラタにまったく興味を示さない真珠、苦し紛れにアラタは「俺と結婚してくれ」と口走る。するとなぜか真珠はそのプロポーズを快諾する……果たしてアラタは彼女からすべてを聞き出せるのか? そして真珠の真意はいったい……? というお話なのね。
 
 つまりこの作品って「品川真珠とは何者なのか」を探っていく過程が描かれているわけなんだけど、実際そこにはものすごく複雑なものが潜んでいるように見えるわけ。
 コロコロと表情が変わり、情緒がまったく安定していないように見える言動。他人を値踏みするかのように怒りを煽ったかと思えば、次の瞬間には見捨てられることに怯える。体型も安定せず、逮捕時はでっぷりと太っていたが、勾留中にどちらかといえば痩せすぎなぐらいになり。歯は虫歯でボロボロ。小学生のときに受けたIQテストでは境界知能を示していたのに、逮捕後に受けたテストでは標準的な数値になっている。
 
 なにより3人もの人間を殺して死体をバラバラにしてるっていう、猟奇殺人を起こしているわけですよ。だから私たちの目に映るのは「計り知れない闇を抱えた人間」である品川真珠なのね。
 実際に作中でも、特にIQテストの結果が異常なほど上昇している部分を指して「ブラックボックス」って言ってる。
 
 でね、急に話が飛ぶんだけどさ。私は「人格ってものは存在しない」と思ってんのね。いや、別に「うおおおお、俺の周りにいるのはみんなAIのロボットなんだぁ!」っていう妄想を抱えてるわけじゃなくてw
 ザックリ言えば「中国語の部屋」とか「チューリングテスト」みたいな話でさ。まぁとりあえず自分自身には「人格」ってあるじゃん、いや本当はよくわかんないし、私は自分自身の「人格」ですらだいぶ怪しいと感じてはいるんだけど、それはとりあえず置いといて。
 少なくとも他人の内心なんて知る手段が無いわけですよ。そいつが「これが内心である」と語ったところで、確証なんて持ちようが無い。だからどうしてるかって言うと、例えば発言とか行動を見て「たぶんあいつには人格があるらしいぞ」って判断しているんですよね。入力に対して出力を返す、その過程で働いてる(らしい)ブラックボックスを私たちは「人格」って名付けている。
 
 だからしょっちゅうエラーを起こすんですよ。”甲斐甲斐しく”ごみを吸い込んで右往左往するお掃除ロボットにペットに向けるような感情を覚えたり、車やバイクやパソコンの状態を”機嫌が悪い”って言ったり、AIにはすぐ人類に反乱を起こさせようとするw
 ただこういう人間の持ってるバグというか、様々ものに「人格-のようなもの」を見出してしまうことが、私は大好きなんですよ。人類が持ちうる中でも、格別にめちゃくちゃ愛しい機能だと思うの。それって結局、私たちがその気にさえなれば(もっと言うなら「その気にさせさせてくれれば」)、なんだって愛せるってことじゃない?
 
 実はこれに似た話を前にしたことがあって、それが『花束みたいな恋をした』の評なんだけど

 ここではそのエラーまみれの機能によって「私たちは「人」を好きになってるんじゃなくて、その外側を形成しているものの複合体として相手を見ていて、そのパッチワークでできているものを好きになっている」っていうことが起きてるって語ったわけ。
 
 で、ここから話を『夏目アラタの結婚』に戻すと。さっき言ったように品川真珠には「ブラックボックス」があるわけですよ。そして夏目アラタからは見える反応、つまり入力に対する出力から品川真珠の「人格」を推し量ることしかできない
 で、私は『花束みたいな恋をした』評ではそれを肯定的に捉えたんだけど、この作品ではその功罪のうち「罪」つまりネガティブな部分を取り扱っているのね。つまり「出力から推し量る」ことができるっていうのは、ある程度そこに定型化された「人格」を見出している。それって要は「レッテルを貼る」行為なのですよ。
 ここで夏目アラタが児童相談所の職員だということが響いてくる。子供にも親にも、それぞれの家庭には事情があるわけで、それはどれひとつとして同じものは無い。だけどここで夏目アラタは品川真珠に対して「レッテル貼り」をしようとしている……それは彼の職業倫理と大きく乖離している態度なわけ。
 だから最後にアラタは児童相談所を辞職することになるんですけど……それってつまりこの作品が「愛」の定義を、目の前の人間を「ただ唯一のもの」として向き合うこと。推し量る/レッテル貼りをした「人格-のようなもの」ではなく、曖昧だけどそれでも信じるにたる「人格」がそこにあると認めること。だとしているってことなんですよね。
 
 これは私の立場とは(どこまでも「人格」など確かめようがなく、だからこそ人は愛おしい)まったく異なるものではあるけど。それでも力強くその結論を提示する態度には、十分に面白さを感じました。いや、正直ミステリーとしても良かったし、かなり楽しめる作品だったと思います。うん、間違いなく見て良かった。それは断言できます。

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 次回は『わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー! ドキドキ♡ゲームの世界で大冒険!』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの18分ぐらいからです。


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